浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

プラスマイナスゼロ、にはなりません。

 以前、懇意にしているバーのマスターから「(私)ちゃんって、男性の極端なところと女性の極端なところが合わさってる感じがする」と言われたことがある。

 性を単純にふたつに分けたことの是非についてはここではおいておくとして、今となって考えると、その表現は言い得て妙だなと思う。
 私の中にはいろんな対立構造が存在しているから。

 少し例をあげると。
 ここ半年ほどでゆっくりと、しかしはっきりと自覚してきたことなのだけど、自分の中には猛烈な男性嫌悪と強烈な女性嫌悪が対立しながら共存している。また、そこそこ性欲が強い一方で、性嫌悪も激しい。
 そんな感じで、相反する性質を持つ(と一般的に思われている)ものが、時にバランスを取り、時にバランスを崩しながら、決して調和しないまま私の中に在る。

 こういうことを言うと、大体「じゃあちょうど中和されていいんじゃない?」というようなことを言われるのだけど、いやいやちょっと待てよ、と。
 そりゃあ小学校の理科ならね、塩酸と水酸化ナトリウムを混ぜてBTB溶液の色の変化で「わー中和したぁ♪」ってなりますけども感情や思考は化学物質じゃないので中和なんかしないんですよ。

 例えは雑ですが、というかその例えはあかんやろってお叱りを受けるかもしれないですが、過激派右翼100人と過激派左翼100人をひとつの部屋に押し込めてみたら何が起きると思います?もうね、押し合い圧し合い罵り合い殴り合いの大騒動ですよ。流血沙汰ですよ。下手すりゃ殺戮が起きますよ。
 例えのとおり、私の中も基本的に押し合い圧し合い罵り合い殴り合いの流血沙汰です。殺戮です。


 だから、内面に対立構造があるとメンタルがカオス化しやすい。外的要因がなくても、アンビヴァレント、ジレンマ、葛藤によって自分ひとりでどんどん傷ついて苦しむことができるから。
 苦悩と苦痛の自給自足。全然嬉しくも楽しくもねぇー。自給自足というか、過剰生産だわ。育ちすぎて土に埋まったまま腐ってるわ。


 偏りと偏りが合わさったら、プラマイゼロになる訳じゃない。中庸になれる訳じゃない。偏りは偏りのまま、しかも違う種類の偏りを抱え込まなければならない。
 それは大なり小なり誰にでもあるものだけれど、偏りが激しければ激しいほど、対立構造が深まれば深まるほど、そしてそれに対する感受性が強ければ強いほど、つらさは増していく。
 そのつらさを解決するにはどこかでなんとか折り合いをつけるしかないのだと頭ではわかっているけれど、なかなか厳しい。心理的内紛をおさめられるほど私は成熟した人間じゃないし、そもそも簡単に解決できるなら葛藤なんか生まれねぇよ。


 これが「きのこの山」vs 「たけのこの里」論争で、どっちも好きな場合は「どっちもおいしいよね!どっちも大好き!」で済む話なのに。



 あ、ちなみに私はたけのこの里が好きです。