浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

表現しないことの責任。

 表現することの責任は当たり前のように他人に背負わせ、取らせるのに、表現しない*1ことの責任は絶対に取ろうとしない人がいる。

 あれ、なんなの?
 表現しないことを選ぶ権利は確かにある。けれど 表現しないことを選んだ以上、相手が汲み取ってくれなかったとしても、あるいは察した上で敢えて無視したとしても、それに対して苛立ちを表現する権利も、怒りを表現する権利もないし、おくびにも出さないようにするべきだ、と私は思う。
 もちろん自分の中だけでひそかに苛立ったり怒ったりする分には全く問題ない。それが感情というものだから。

 自分の身近なところだと、うちの父親が特にそういう人だったのだけど、思うことがあるなら冷静にスッとひとこと言ってくれたらそれでいいと思うの。冷静になれないなら別に感情丸出しでも構わないけれど。
 でも、何も言わない癖にドスドス歩いたり、扉を思いっきりバァーンって閉めたり、リモコンを床に叩きつけたり、わざと声を出してため息をついたり、不機嫌そうな顔したり、ずっと無視したりされるのは本当に我慢ならない。やめてほしい。
 空気がピリピリピリピリピリピリピリピリずっとピリつくんだけどなんなのあれ。なんのアピールなの。

 結局、ただの甘えだと思う。
 そうやって相手をコントロールしようとしているのに他ならない。
 表現して思い通りにならなかったら嫌だから表現する労力を惜しんでいる。けれど、表現しなくてもわかってもらえない苛立ちは湧き出るから、心の中の「察してよ、わかってよ」って思う気持ちを外に漏らしてしまう。
 もっと言えば、表現しない人間というのは大体ワガママで臆病者で、他人を見下している。「言ったってどうせあんたにはわからないでしょ。無駄でしょ」と。
 でもね、表現しないヤツの気持ちなんか誰も知ったこっちゃないんだよ。表現されないものをわかる義理なんて、理解する義理なんてこっちにはこれっぽっちもない。*2

 あれかな?赤ちゃんからコミュニケーション能力が発達していないのかな?何が嫌とかこうして欲しいとかきちんと意思表示ができないから泣くしかない赤ちゃんのまま、大人になったのかな?
 ホント、おしめが濡れて気持ち悪いけど、まだ言葉がわからないから取り替えてほしいって言えなくて泣くしかできずに母親をオロオロさせる赤ちゃんと一緒。THE・ベビーメンタル。
 あなたの脳の言語中枢と発声器官はあれですか、飾りですか。いい大人だったら自分の器官を最大限に使え。声に出せないなら手紙という手もある。今の時代、メールやSNSアプリで伝えることもできる。それが面倒なら山にでも隠遁してろ。と言いたい。


 表現したとき、確かに相手がそれを受け止めてくれるか、受け入れてくれるか、理解してくれるか、思い通りになってくれるかはわからない。
 それは相手次第だ。残念ながら相手には受け入れない権利があり、思い通りにならない権利がある。拒否する権利もある。それに単純に、相手の器量の問題で受け止められない場合もあるし、生まれ育った環境や現在置かれている状況、性別、考え方、感じ方の違いのために理解できない場合もある(理解しないのではなくて、理解できない)。
 けれど、表現すれば少なくとも、相手に知ってもらうことはできる。「私はあなたに知らせましたよ」という実績を残すことはできる。そういう実績を重ねた上で相手に何かしらのアプローチをすることも攻撃を仕掛けることもできるし、関係を切ることもできる。「知らせる」という宣戦布告をしているから、フェアに、なるべく自分の非がない状態で立ち回ることができる。
 それに、表現しないよりは、受け止めてもらえる可能性も、受け入れてもらえる可能性も、理解してもらえる可能性も、思い通りに動いてくれる可能性も、ほんのわずかだけれども出てくる。0%だったのが、0.01%くらいにはなる。

 そのわずかな可能性のために表現するのは面倒だと言うのなら、それはそれでいいから表現しないのをとことん徹底してほしい。
 大事なことは表現しないのに、自分が不機嫌だということは表現したいだなんてムシが良すぎるし傲慢にも程がある。そこには言外に「お前のせいで不機嫌なんだ、お前が不機嫌にさせたんだ」という恨みがましい気持ちが含まれている。
 知らんわ。表現を怠ったヤツにそんな権利があるとでも思っているのか。一体何様のつもりなんだ。
 表現しない気持ちは誰も知り得ないし干渉できない、他でもない自分自身の問題なのだから、それによる不機嫌は自分の中に完全に仕舞って、自分の機嫌は自分で取ってほしい。
 それが、表現しないことの責任だから。

***
 何故こんなことを書いたかというと、まさにこういう「表現しない人」が知り合いにいて、今まで「こういう人だから仕方ない」と気にしないように努めてきたけれど、「仕方ない」で済ませられないほどショックというか「は?なんなのコイツ、人を虚仮にするのもいい加減にしなよ」と思ってしまった出来事があったからなんですね。
 けれどよく考えてみれば、その人と私はどこか似ているところがあって、つまりこの怒りはその人に対してのモノであると同時に、自分への怒りでもある。表現しないことで他人を攻撃してきた、幼稚で馬鹿な自分への怒り。表現しないことで自分自身を蔑ろにしてきた自分への怒り。

 表現しないことの責任はそういう形でも背負うことになる、と思い知らされた、大雪の年末。

*1:ここで言う「表現しない」というのは、他人と関わり合う上で相手に対して自分の感情、気持ち、考えなどを伝えないこと、あるいは偽って伝えることをいう。

*2:場面緘黙症やそれに近い状態になってしまう人、自分の感情がわからなくなって表現しようにもどう表現したらいいのか混乱してしまう人もいると思う。そういう人は除く。あと、精神的に何らかの問題を抱える人も。表現しないのではなくて表現できない人たちだから。表現したいのにできない、というのはすごく苦しい。