浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

最後の言葉。

 昨夜、夢の中に母が出てきた。

 蒸発した母が実は生きていて、戻ってきたという設定だった。
 私は嬉しくて、今までどこにいたの?とか色々聞いた。母がなんと返事をしたかはよく覚えていない。でも、父が亡くなったことを伝えたら、「ごめんね、私がそばにいなかったから大変な思いをさせたね。よく頑張ったね」と言ってくれた。そして一緒に美容院に行ったり買い物に行ったりしてふたりで過ごした。色んなことを話した。楽しくて、嬉しくて、母が生きていたことに安心して、明日は何をしようか、そうだ、母になにか手料理を振る舞おう、と思った。

 目が醒めて、やるせなくなった。
 夢があまりにも理想的で、現実とかけ離れ過ぎていて、虚しくなった。


 蒸発した母とはそのまま会えなくなった、と以前のブログにも書いた。

 けれど本当は、母が亡くなる前に一度だけ、家の近くで出くわしたことがある。


 10年前の初夏のある日。夜の10時頃、近くの自販機にジュースを買いに行ったとき、人が歩いてくるのが見えて、夜遅くに珍しいなぁと思ってよくよく見たら、母だった。
 びっくりした。
 あ……お母さん、生きてたんだ……。それが最初に浮かんだ感想だった。
 母と目が合った瞬間、嬉しい反面、ものすごい勢いで強烈な怒りがわいてきた。けれど自分が一体何に怒っているのかもよくわからなかった。頭は熱いのに体はスッと血の気が引いたように冷たくなって、唇がわなわなと震えた。自分の中で感情の雪崩が起きて、ありとあらゆる気持ちが混ざり合い、私はそれに圧倒された。

 私は母に向かってツカツカと歩み寄った。母は私に気づくと立ち止まり、私をずっと見ていた。私も母のことをずっと見ていた(見ていた、というか、睨んでいた)はずなのに、そのときの母の顔を、表情を、全く思い出せない。
 目の前に立ったとき、母は言った。
 「久しぶり、みんな、元気?」
 なんだか遠慮しているような、私に怯えているような、消え入りそうな声だった。
 久しぶり、ってなんだよ。実家暮らしの未成年が親から言われる言葉じゃねーよ。みんなって誰だよ。多分弟と妹のことだろうけど、その中には私も入っているのか。元気?って、そんなの自分の目で確かめればいいのに。
 言いたいことは色々あった。聞きたいこともたくさんあった。罵ってやりたい衝動にも駆られた。けれど、私の口から出た言葉は、
 「何しに来たの?」
 たったひとこと、それだけだった。
 私にそう言われた母の表情も、やっぱり思い出せない。しばしの沈黙のあと、母は「みんな元気ならいいんだ。じゃあね」と言って去って行った。

 私は母を引き止めなかったし、去って行く姿を眺めもしなかった。すぐに家の中に入って、買ったジュースを飲んで、テレビを見た。でも番組の内容なんか頭に入ってこない。心臓がバクバクして、今にも泣きそうなくらい目が熱くて、なのに涙は一滴も出なかった。
 母と会ったことは家族の誰にも言わず、何事もなかったかのように過ごした。*1そしてその後母と会うことは二度となかった。二度と会えぬまま、母は亡くなった。
 「何しに来たの?」
 それが、私が母と交わした最後の言葉になった。

 今でも時々思い出す。思い出して、後悔する。後悔したってなんにもならないのにね。


 今思えば。
 あの時私は、母に「おかえり」と言いたかった。「おうちに帰ろ」と言いたかった。去って行く母に「行かないで」と言いたかった。でも言えなかった。拒絶されるかもしれないのが怖かった。拒絶されたら、自分が完全に捨てられたのだと証明される気がした。だから私の方から、母を拒絶した。母を捨てた。捨てる覚悟なんてこれっぽっちもなかった癖に。まさかそれが最後の言葉になるなんて思いもしなかった。本当に馬鹿としか言い様がない。当時は自分のそんな気持ちすらわからなかったから、仕方がなかったと言えば仕方がなかったのだけど。

 「おかえり」や「帰ってきて」とちゃんと言えていたら、母は帰ってきてくれたかもしれない、死なずに済んだかもしれない、と思ってしまう。10年経った今でも。

*1:その後、父のひとことに激しく傷ついて全てが嫌になって家出したりもしたけど、それはまた別の話。