浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

愛憎の話。

少年は残酷な弓を射る』という映画があるんだけど、そのレビューを書いているとあるブログの中ですごく印象に残った言葉がある。

 愛と憎しみは紙一重と言うけれど、愛で繋がれないから憎しみで繋がろうとした。

 それを読んだときに「あーなんかわかるなー」と思った。


 私の育った家庭は複雑というか崩壊状態でギリギリ運営されてるおうちだったんだけど、そういう状態だと、もう憎むしかなくなるというか。
 本当は大事にしたいし大事にするべきだと頭では思っているんだけど、関係性が破綻していると家族に対する感情のエネルギーを愛情に変換できないんだよね。そして持て余された感情が行き場を失ってどんどん溜まって腐っていって、その上手く消化できない膨大なエネルギーが結果、勝手に憎しみに変化して自分の中に鎮座する。ごめんなさい上手く説明できてないけど大体そんな感じ。

 中学生から大学生の頃なんかは特に、家族のことが本当に本当に大嫌いで仕方なかったし、なんなら殺意すら抱いたこともあって、中でも大学時代に亡くなった母親のことは去年くらいまでずっと憎んでいたし恨んでいた。
 でもなんか、今年になって少し考え方が変化して憎悪とか恨みが薄まったら、私は母親のことが大好きだと思える・言えるようになった。いや、今でもうちの母親は超絶クズの最低女だと思ってるしそれは昔から変わらないんだけど。それでも大好きなんだよね。


 まぁ殺意を抱いたとか言って、私が手を下すまでもなく死んじゃったんだけどさ。病死でも自殺でも他殺でも事故でもない。いや、自殺とか事故に近いのかな?
 家から蒸発した挙句、ひっそりと隠れ住んでいた家屋(彼女の実家の、使われていない離れ)で、飢えと脱水で亡くなった。らしい。平成の世で餓死とかギャグかよって感じだけど。見つかったときにはもう腐ってて蛆がわいていたから、「らしい」としか言えないんだけど。
 ひどい死に方だけど、当時は、バチが当たったんだざまぁみろ、と思った。*1それと同時に、完全に母親に捨てられたんだという絶望と、母親がもうこの世に存在しないという悲しみがないまぜになってぐちゃぐちゃだった。
 まぁでもね、今となっては普通に悲しいです。たまに夢に出てくるけど、歳を取らないんだよね。ずーっと亡くなった当時の年齢の姿のまま。あと、殺意を抱いたときに殺さないでいてよかったなと思う。もし殺してしまっていたら、今みたいに心にある程度整理をつけることもできなかっただろうし、「大好きだ」と思えなかっただろうなと。


 つまり何を言いたいかというと、自分が強烈に憎んでいる相手(主に家族の場合だけど)も、実は愛したいとか大事にしたいと思ってる人かもしれないよ、ってことです。あとは単純に、自分を愛してほしい、大事にしてほしいと思っているか。それが叶わないから憎悪するしかなくなる。
 もちろん、そうじゃない可能性もあるから、憎くて嫌いでたまらないならとことん憎んで嫌っておけばいいと思います。人間、そんな簡単に憎悪を手放せるほど器用じゃないのよ。

*1:蒸発以外にもそう思うに至ったエピソードがちゃんとあるんだけど、それはまた別の機会に。