浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

「安全」の基準についての話。

 2ヶ月程ブログを更新していなかったけれども、その間色々ありまして、わたくし何とか生きております。むしろ精神面では大幅に吹っ切れたところがあり、毎日死ぬことを考えながら泣く、という状態からは脱しました。

 しかし身体が。
 身体がついてこない。

 今年は私が住んでいる北国にも「梅雨らしい梅雨」が到来しまして、昨年まではあまり感じなかったのに今シーズンは気温・湿気・気圧の変化にめっぽう弱くなってしまいました。下手すればテレビの天気予報より正確に雨が降りそうなのを予知できる。
 頭がまるで「むんっ」と浮腫んでいるような、脳が膨張しているような頭重感とふわふわするような軽いめまいがして、「うわぁ具合悪いわ……」とげんなりしているとそのうち雨が降ってくる。なんだろう、精神を病んで自律神経が狂いまくった結果、生命の危機を感じて動物的本能が強くなったのだろうか。
 原因はわからないけれど、とにかく身体が思うようにならないのがつらい。とりあえず梅雨明けしてからは少しマシになってきた感じもするけれども。

 ところで最近、年上の方と「愛情飢餓と承認欲求の違い」やら「環境次第ではダメ人間もダメでいられなくなる説」やら、そんなお話で盛り上がったのだけれど、その時に「心が折れた時にメンタルがヘラっている(orヘラり気味の)人間の内面で起こる自己防衛メカニズム」について実に興味深い(?)考察を聞いた。

 メンタルがヘラっている人、とは言っても、あくまでその方との共通の知人2名+私、の3人しかサンプルがいないので、こういうパターンがあるよ、というお話。

 まず1人目。
 彼は心が折れたとき、もう一人の自分が「もうやめて!攻撃しないで!」と心折れて倒れている自分をガードして、周りの話を完全にシャットアウトして受け付けなくなってしまう。何を言っても、優しくしても、全く響かなくなってしまう。防御特化型。

 2人目。
 彼女の場合は、心が折れたときもう一人の自分が出てきて、周囲に対して自分の正当性を主張し始める。「私も悪いけどさあ」というのを枕詞に、けれどそれはあくまでポーズで取って付けているだけの言葉で、その後は「だって〜〜じゃん!」と強く反論する。マイルドな攻撃型。

 そして3人目。私の場合。
 その方曰く私の場合は、心折れて倒れている自分を、もう一人の自分が包丁でグサグサと滅多刺しにしているような感じがする、らしい。終いには臓器を引きずり出し、皮まで剥ぎ取って、剥き出しになった組織を爪でカリカリと掻きむしり、とことん虐め抜くのだと。という訳で、自己破壊型。

 この話をした時に、私は少し笑ってしまった。破壊衝動が自分自身に向かいやすいというのは、性格診断などでよく見る結果だったので全く自覚がない訳ではなかったけれど、自分ではそれほど自己否定感が強くないつもりでいた。だから、「他人にも本当にそういう風に見えていたんだ!」と、1周回って可笑しいな、と思ってしまった。

 その後で、ハッと思い出したことがある。

 私は、家族や恋人など心理的距離が近い人と喧嘩したときに、自分が暴走した感情のままに相手を罵りそうになるのがとても嫌なので、それを抑止しようとして黙り込み、全く口をきかなくなる。
 そういう私の癖について、以前男友達と話していたとき、彼が「なんで黙っちゃうの?いいじゃん、罵っちゃえば」と私に言って、私は「だって嫌じゃん、相手を傷つけるのが。自分の怒りのエネルギーが強すぎて、それを他者に向けるのが怖いんだよ。相手にそれを向けなければ、安全だもん。破壊衝動とか、他人に向けるより自分に向ける方が安全じゃない?」と答えた。
 すると彼から返ってきたのは、自分にとって意外すぎる言葉だった。

「それ、安全じゃないじゃん。
 自分が傷ついてるんだから、
 安全じゃないでしょ」

 え……?
 その発想はなかった( ゚д゚)

 その時「言われてみれば確かに」とも思ったけれども、それまでずっと「他人が傷つかない=安全」という方程式のもとで生きてきたので、頭が混乱してしまい返答出来ずに詰まってしまった。言っていることの意味はちゃんとわかるのだけど、腑には落ちなかった。

 実は今も腑に落ちてはいない。けれど、破壊衝動を自分に向ける話と繋がって気づいたのが、どうやら自分は一般的な人と「安全」の基準が違うらしいということ。攻撃は最大の防御、というのを自分に対しても行使しているのかもしれない。
 自分を徹底的に破壊してめちゃくちゃにしてしまえば、他人が攻撃してきたとしても大したダメージにはならない。自分が傷つくこと、壊れてしまうことを「危険」だと認識していなかったのだ。むしろ他人を破壊しない分「安全」だとすら思っていたのである。

 何故周囲の人たちが「(ひよこねこ)ちゃん、もっと自分に優しくしなよ」と言うのか、ワケがわからなかった。自分はわがままな方だと思っていたし、他人に優しくありたい、優しくなりたい、と思っていたから、「自分に優しくってなんだそれ。そんなんダメだろ」と思っていた。
 しかしそもそも自分にとっての「安全」は世間的に「全くもって安全ではない」ということを、私は四半世紀以上も知らないまま過ごしてきた訳で、他人から見て「自分に優しく」などできなくて当たり前なのである。ずっと自分の「安全」を確保してきたつもりだった、ただそれだけだったから。

 再三言うが、未だに腑に落ちてはいない。
 落ちてはいないけれども、もしかしたらこれは、破壊衝動を自分だけに向けることなく、かといって他者を激しく攻撃することもなく、本当の意味で自分の「安全」を確保して、みんなが言うところの「自分に優しく」ができるようになるためのひとつのステップなのかもしれない、と思った。