浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

理由を見つけて、地獄に気付いた話。

2度病院を変え、現在はカウンセリングを定期的に受けている。以前は入眠困難中途覚醒早朝覚醒とあらゆる不眠症状に悩まされ、平日は体も頭もふらふら、その反動で休日は過眠でベッドから出られなかったけれど、今では睡眠導入剤なしでも寝付けるようになった。念の為に3〜4回に1回くらいで睡眠導入剤を処方してもらうけれど、服用することもなく万が一のときのお守りみたいなものになっている。
眠れるようになったおかげか、死にたい気持ちの濃度と持続時間も以前と比較して薄く、短くなってきた。「以前と比較して」ではあるけれど。

けれどもやはり時々そういう気持ちに襲われる。襲われるけど、多分私は死なないし、死ねないだろうな、と思う。

それは「死んだら誰かが悲しむから」とか「死ぬのが怖いから」とかそんな理由ではない。「では何故?」と問われても、今までは自分でもはっきりとした理由がわからずにいた。

具体性のある理由の中で最も近いのは、「自死したら必ず誰かに迷惑をかけることになるから」というもので、けれどそれは少々外角にそれている。
他人が聞けば抽象的であやふやに思われるかもしれないが、「『生きることも死ぬことも許されない』感覚があるから」という理由の方がより的を射ていた。そう表現するしかなかった。
しかし今日、もっとしっくりくる表現が見つかった。

「自分のからだの支配権を有していないように感じるから」

自分のからだの所有者は自分だ。けれど、その支配権は私のものではないと感じる。それが何故かはやはりわからないのだけれど。

幼少期や思春期の頃には、所有権すら危うく感じるときが多々あった。前にも書いたかもしれないが、自分の腕や足が自分のものでないように感じて気持ち悪くなるのだ。
自分の肩から人形の腕が生えているような違和感。違和感に包まれた右腕を左手で掴むと、掴んでいる感覚も掴まれている感覚もあるのに、右腕には何か私の脳から伸びるものとは違う神経が通っているような、あるいは神経が通っていないような気がして、とにかく気味が悪く不安に駆られた。
そんなときにはテーブルの角や壁や柱に腕をガンガンとぶつけたり、足をあらぬ方向に無理やり捻ってみたりしていた。そうしているうちに違和感が薄れて自分の腕に戻っていく。

歳を重ねるごとにその違和感に襲われる頻度は減ってきて、ここ数年では2、3ヶ月に1回あるかないかくらいにまで治まった。そんな風に所有権を獲得しつつあっても、支配権は未だに遠いところにある。それは誰が持っているのだろう。何処にあるのか、何処かにはあるのか、それすらもわからない。ただ、確実に私の手の中にはない。

だから、生きていてはいけない気がするし、死にたくても実行してはいけない気がして出来ない。自傷することさえ、許されない気がする。
破壊衝動が湧いてきても、自分を錐やナイフで滅多刺しにする想像をするのが精一杯。
自傷の代替行為として、かさぶたを剥いだり、皮膚を掻きむしったり、青痣をぐいぐい押したり、いつのまにか負っていた切り傷に水圧強めのシャワーを当てたり、そんなチンケな方法で自分を痛めつけるくらいしか出来ない。
どれだけ死にたくても、「死にたい」と口に出しても、どうせ私は死なないし、死ねないのだ。私には私のからだに対する支配権がないから。

だからかもしれない。幼い自分の中に「死にたい」ではなく「消えたい」という気持ちが先に生まれたのは。
思春期の頃、消滅願望とは別に希死念慮が湧いて出たのだけれど、それは「消える」というのが物理的にどう考えても無理だったので、それに近い方法として「死ぬ」という選択肢が浮かんだ結果だった。でも、「死ぬ」ことすら私にはリアルではない。
そうして私は生きている。死にたいと思いながら、消えることを切に欲しながら、死ねないし消えることが出来ないので生きている。

無様だ、すごく。
自分でもそう思うし、他人からもみっともなく見えるだろう。
でも、とても辛い。自分の支配権が自分にないというのは。

想像してみてください。例えば目の前に家があって、それは貴方のものなのに、貴方にはそこに住む権利もなければ、売る権利も壊す権利もないのです。
例えば目の前にある大金の所有者は貴方なのに、それを使う権利が貴方にないのと同じ。

私のいる地獄はそんな感じです。
貴方のいる地獄は?
そして、貴方が死なない理由は何ですか。