浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

感情は心中し、大事にしたかったはずのモノだけが、腐る。

 

 

 たとえそれが不満であっても、自分の中の感情は小出しにした方がいい、という話。

 


 感情を「良い感情」「悪い感情」と価値判断するのはあまり望ましくないのだけど、世間的にネガティヴな感情だと見なされている気持ちを殺すと、なんとポジティヴな感情(だと見なされている気持ち)も死ぬ。

 

 

 それを実感したのはつい昨日のこと。

 

 

 私は恋愛戦線から離脱して、今後そこに戻るつもりも今のところ毛頭ないのだけど、最後に付き合った人とはぐだぐだにこじれて、けれどあっけなく終わった。

 

 先日知人に、もう本当に未練はないか、と聞かれた。
 未練もなにも、それ以前の問題で、好きだったかどうかすら正直よくわからない。
 ただの依存だった気もするし、嫌いではなかったと思う。嫌いではなかった。

 


 と思っていた。

 


 もちろん好きだったときもあったはずだ。でなければ付き合わない。

 けれど、ひとつひとつ思い返してみて、はたと気がついた。


 私の彼に対する「好き」という感情は、いつのころからか息をしていなかった。

 

 相手に対するたくさんの小さな不満、こうしたいああしたい、一緒にこれが出来たらいいのに、と思っていた気持ちを、分かってもらうことも表現することも諦めて、我慢して、押さえ付けて、葬り去った結果、ものの見事に「好き」という気持ちも一緒に死んでいた。

 

 


 周りからはなんでも思ったことを言っているように思われがちで、ハッキリ物を言うタチに見られているけれど、本当は言わないでいることも言えないでいることも、たくさんある。

 

 ここで敢えて書く必要がないから書かないけれど、その人と付き合っているときに言わないでいたことも言えないでいたことも小さいものならキリがないくらいにあった。不満も、直してほしいところも、望みも、全くもってくだらないことから、私にとってはかなり重要なことまで。

 


 そういうものを表に出すのも嫌だった。
 反論されるだけならまだいい。それはお前のわがままだとねじ伏せられるなら言わないほうがマシだったし、それに、そういうわだかまりが胸の底でくすぶる度に、相手のことを嫌いになりそうで、でも嫌いになりたくなくて、なかったことにしようとした。

 

 なかったことにするために、殺した。

 

 そうしたら、相手のことが「好き」なのかどうか、わからなくなってしまった。嫌いになったというより「好き」という気持ちまでもが、死んだ。

 

 

 感情は連鎖的に死ぬ。いとも簡単に。


 


 「好き」が死んで、私はその人と居るのが苦痛になった。苦痛で苦痛で、死ぬほど苦痛で仕方なかった。
 それに、私の内部は分裂しているから、相反した感情に振り回されて疲れきっていた。
 しかも、その人と居ると、より自分が分裂した。
 本当の自分が、これまで以上にわからなくなって気持ち悪くて、そして相手のことも気持ちが悪くて仕方なくて、いつもイライラしていた。
 顔を見ているだけで殴ってやりたくなったし、傷つけてやりたくてたまらなかった。

 


 それでもまだ、嫌いになった訳ではないと思っていた。
 昨日までは。

 


 好きだったのかどうかもわからない。けれど、「好きだったはずだ」と、それを思い出そうと、昨日突然思い立って、かつてネガティヴな感情とともに深い墓穴に埋めてしまった「好き」を掘り出してみることにした。
 掘り起こすと、当たり前と言えば当たり前だけれど、無数の不満や諦めや望んでいたことや、やりきれなさがどんどん出てきた。
 それらはとても鮮明で、全く変わらない姿かたちで、私に迫ってきた。ついさっき埋めたばかりのものを取り出したように。

 

 けれど。
 最後に出てきたのは、「好き」ではなかった。
 「好き」は見るも無惨に腐りきって、でろでろと溶け、「嫌い」になり果てていた。

 

 


 やっと気がついた。
 やっと直視した。
 そうか、私はあの人のことが嫌いなんだ。
 嫌いになってしまったんだ。

 

 


 「嫌い」だと思ってはいけないのだと、「嫌い」になるなんて幼稚だと思っていた。だから、私は感情の墓を決して掘り返さなかった。「嫌い」の元になる不満や諦めや望みややりきれなさを、掘り返さなければ大丈夫だと思っていた。
 けれどもその一方で、土の中から漂い続ける腐臭にずっと苛ついていた。何故だか腐臭の原因を作ったのは彼である気がして、怒りが収まらなかった。悪臭を放つ正体が分からずに、彼に対する妙な執着を手放せなかった。
 

 

 それが、「嫌い」だと認めた途端、臭いがなくなって、怒りが嘘のようにするりとからだから排出された気がした。
 なんだかもう、そんなにイライラすることでもないような、どうでもいいことのように思えた。
 メビウスの輪のように延々と辿っていた怒りのループから、突然別のところにふっと抜け出した。

 

 そして、今日は昨日より、いくらかマシな気分で過ごすことができた。

 

 

 


 感情は、ひとつだけ殺す、ということが出来ない。
 殺されそうになった感情は、いくつもの道連れを伴って心中する。
 だから感情は出来るだけ殺さない方がいい。たとえそれがネガティヴなものでも。
 失いたくなかったはずの感情が、腐って変わり果ててしまわないように。

 

 腐ってしまえば、もう元には戻らない。
 でも、腐ってしまったものを見ないふりや気づかないふりでやり過ごすのも、自分を苦しめるだけだ。
 腐ったものは腐ったのだと認めるしか、自分が楽になる術はない。

 

 


 腐ったものを認めて、やっと、僅かばかりだけど、胸が軽くなった。
 さて、明日からどうしよう?