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浮かび上がる、沈み込む。

単なる日記、あるいはセルフカウンセリングの一環。

幸せ恐怖症、という呪い。


 久々のブログ更新。
 放置していた丸々2ヶ月の間、まぁ色々と心境の変化があった訳ですが、そこはとりあえず割愛して、この2月に入ってからいきなり開眼した話をしたい。
 ただ、過去の記事を見て思った……


 だいぶ病んでるな‼!!!!


 いや、病んでるのは今でもそうなんだけど、なんだろうかこの「ハイパーエクストリーム病みタイム」。そりゃあ眠れないし苦しいよね、これだけ病んでれば。
 ま、今も大して眠れないんですが、眠れないことが以前ほど辛くなくなってきたので、進歩かな、と。

 

 で、開眼した話。

 ある日、突然気付いた。
 「私、幸せ恐怖症なんじゃなかろうか……」と。
 そしたら、なんかとてつもない衝撃が脳天を突き抜けて、今までバラバラだったピースが全部カチッとはまった。

 

 そうだ、私、幸せ恐怖症だったんだ……!

 

 幸せ恐怖症とは、文字通り「幸せに対して恐怖を抱いている」ということ。はぁ?何言ってるの?人は幸福を求める生き物でしょ?と思うかもしれない。そしてそれは全くその通りで、幸せになりたいとは思っている。切実に願っている。なんなら幸せになりたいという願望は人一倍強いかもしれない。
 けれど幸せが怖いのだ。

 何故か。答えは簡単で、「生存本能の働きにより、環境に順応・適応した結果」に過ぎない。

 

 あまり幸せでない人生を送った人間や、幸せを感じることが少なかった人間にとって、「不幸な状態」あるいは「幸せでない状態」というのがスタンダードになる。
 これは、はっきりいって苦しいし、つらい。つらいが、その環境の中をなんとか切り抜けよう、なんとか生き抜こうとして、人間に備わっている生存本能が必死に順応し始め、「不幸状態」に適応していく。
 適応した結果、「不幸」であることが是であり正である人間になる。幸せになるのが居心地悪いのだ。かといって、「不幸状態」が居心地良い訳ではない。
 出来れば幸せになりたいと思っているが、単純に「不幸状態」があまりにも当たり前で、それが至極自然なことで、そうでなくなったとき、適応した生存本能の働きによって自分の生命を脅かされるような不安に陥るのである。

 

 「幸福」という未知の領域に対する不安。
 「幸福」を知ってしまった後で、それを失うことに対するどうしようもない恐怖。
 「幸福」を得られそうになると、自分という存在がそれに見合った価値を有していないような気持ちになる自己肯定感の低さ。
 自分のせいで「幸福」になれなかったかもしれない人に対する罪悪感。

 


 思い返せばそうだった。

 自分の場合、その傾向が特に強いのは恋愛で、幸せを感じそうになると自らめちゃめちゃに壊して破綻させようとする、とんでもない習性があった。

 恋人に好きだと言われたり大事にされていると感じると、嬉しい気持ちになるのと同時に、何故か相手から逃げ出したい気持ちが間欠泉のように勢いよく溢れ出す。一緒にいたいと思うのに、別れたいという衝動に駆られる。

 別れたいがために、自分の気持ちに嘘をつく。「自分はこの人のことをそんなに好きじゃないんだ」とか、「私が好きなのは別の人だ」とか。「自分にとって、こういう一対一の付き合いは合わない」だとか。
 そして、相手の気持ちも断定してしまう。それも、実際そうだったら自分が悲しいとか傷つく方向で。例えば、「この人は私のことなんて好きじゃないんだ」とか、「私の存在が邪魔なんじゃないか」とかいう具合に。

 

 それが顕著に出て、あまりにも酷かったのは、自分から好きになった人と付き合ったときだった。
 嫌われたくなくて顔色を伺って素直になれず、自分を出せず、「この人は私とどうして付き合ってくれたんだろう、本当はなんの好意もないんじゃないか、邪魔なんじゃないか」と疑心暗鬼になって、会えると嬉しいのに、いつもどこか不安で悲しくて苦しくて、自分から好きになったのに、自分から別れを切り出して終わらせてしまった。
 次に付き合った人は、相手からのアプローチを受けて交際がスタートした。最初は平気だったのに、自分も相手のことがどんどん好きになってくると、それに比例して、恋人でいるのが嫌で嫌でたまらなくなってしまった。
 好きな相手といられることも、相手から無償に近い愛(的なもの)を注がれるのも、必要とされるのも望まれるのも、居心地が悪くて仕方なかった。

 

 そうやって、関係を壊し続けてきた。相手を困らせ、疲弊させ、自分で幸せになるのを邪魔して拒否して捨て去って、結局、私はひとりになる。
 いつだってそのパターンだ。

 だから、いっそひとりの方が楽なのだと思った。
 これからもひとりでいいと思った。
 恋人なんか、いらない。それで寂しかったとしても、傷つくよりずっとマシだ。そう思っていた。

 


 だけど、もうやめたい。

 幸せ恐怖症という、長らく掛かっていた呪いの存在に気付いた今、もう、そういうことはやめたい。
 経験してこなかったから怖いと感じるなら、これから経験すればいい。それで傷ついても死ぬわけじゃないし、仮にそれで死んだとしても、死ぬ前に少しでも幸せだと感じられたなら、それでいいんじゃないか、と思う。


 幸せ恐怖症に気付いたときはものすごく泣いて泣いて泣いて、目が腫れ上がって一重になって、なんかもう無理ーやだーこんな人生ーとか思ったけれど、全てのピースがはまったとき、なんだ、自分が今まで苦しんできたことは、こんなにも深刻で辛くて悲しくて、でもこんなにも馬鹿馬鹿しくて、いくらでも自分でどうにでもどうとでもできることだったのか、と思った。

 

 そして、自分はこれからだと思った。幸せ恐怖症に気付いた、気付けた。だから、これからは頑張れば意識的に変えていけるんじゃないかと思う。
 でも、頑張ってもダメなときはきっとダメだし、そうなったら休めば良いし、それは自分のペースで進めればいい。

 

 

 2017年の目標は「素直になる」こと。ひとまずは、自分の気持ちに、欲求に向き合って、素直になって、そしてそれを素直に表現できるようになりたいと思う。