浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

ひとりになりたい。

 ある人との関係を切りたいと、しばらく前から行動しているのだけど上手くいかない。
 その人のことが大嫌いだとかそういう訳ではないけれど、繋がっている以上お互いに不利益をもたらすようにしか思えない。泥沼の中で首を絞め合っているような、もの悲しさを感じる。さすがに勝手に切るのは失礼だと思ったので、連絡を取れないようにさせてほしいとずっと言っていた。

 だけど、連絡を、関係を絶とうとするのは、私が自分自身に向き合っていないのだと言われた。

 どうしてそんな風に簡単に言うんだろう。

 その人と関わっていると、どんどん自分が化け物みたいになっていくようで嫌だ。ただでさえ不安定でキチガイじみている自分が、さらにおかしくなっていく感覚が怖い。診断された訳じゃないけれど境界性人格障害者みたいで……そこに片足を突っ込んで抜けなくなっていくようで、自分が気持ち悪くて仕方がない。

 相手のことだって、そんな自分に巻き込みたくなんかない。時々爆発する猛烈な怒りに巻き込みたくなくて、だから離れたくて。
 
 狂った自分でいたくないと思うことの、何が悪いんだろう。冷静な状態でいられないのにどう向き合えと言うのだろう。落ち着いた状態でゆっくりと、絡まった糸をほどいてやり直したいだけなのに、どうしてそんな風に煽るんだろう。
 どんどん不気味な化け物になっていくのに歯止めを掛けたいだけなのに。


 私は知っている。心を病んだ人間は、世間から気味悪がられて落ちこぼれてしまうことを。化け物のレッテルを貼られ、治ることが出来なければ、死ぬまで悲しく、寂しく、生きるしかないことを。


 私の母方の祖父は統合失調症を患っていた。
 母方の家は元は大地主で、祖父は長男としてものすごく厳しく躾られたらしい。周りからの重圧や激しい妬み嫉みに晒されたことで、とうとう精神を病んでしまったという。
 周りには、祖父はあなたのことだけはとても可愛がっていたよ、と言われる。それはなんとなくは分かる。私のためにディズニーアニメのビデオ(当時はまだVHSだった)やキーボードを買ってくれた記憶があるから。
 だけど、幼い私の目から見ても祖父は異常だった。仏壇には、ラッカースプレーでまだらに色付けされた謎の石が置かれていたり、骨董品らしきものにもペンキのようなものでやたらと色が塗られていた。買い物依存症だったのだろう。訳の分からない色んなもので祖父の部屋はいっぱいだった。
 可愛がってくれていたのかもしれない。けれど私の記憶の中で一番印象が強いのは、激しく怒鳴って暴れている姿だ。

 怖かった。とてもとても怖くて、私は毛布を被って泣きながら震えていた。

 小学生のときにはあまり会わなかった。ただ、周りの大人たちの行動を見て、話すことを聞いていて、私は物事がどういう風に進んでいるのかなんとなくわかっていた。
 祖父は精神病棟に入院させられた。
 そして精神病棟は、異常者の巣窟なんだ、と。
 それだけは小学生の私にもわかった。


 化け物扱いされて、祖父は閉鎖病棟で晩年を過ごした。最期は、病院で出されたお菓子を喉に詰まらせて死んだ。私が中学生のときだった。


 死ぬ前に一度祖父に会ったことがある。精神病棟の面会室で、母と父と一緒に待っていると、閉鎖病棟の防火扉みたいな大きな戸が開いて看護師さんと祖父が出てきた。
 最後に見たときより祖父は痩せていて、あまり生気が感じられなかった。それでも私を見る目は優しくて、表情はどこか嬉しそうに見えた。
 私はなにも言えなかった。ただただ泣けてきて、まともに会話が出来なかった。


 怖くてもおかしくても、私は祖父のことが好きで、だけど彼は世間からすればただの化け物なんだ。
 その事実が、ひたすら悲しかった。
 面会を終えて閉鎖病棟へ戻って行く祖父の背中は、とても寂しそうに見えた。


 祖父は、死後、解剖の検体として大学病院に遺体を提供するという会に入っていたので、葬式はあげられなかった。解剖後、処理を施して遺体を火葬してくれる(確かそうだったと思う。中学生だったのでよく覚えていないけど。)のだが、その前に家族で大学病院に行き、遺体に向かって手を合わせた。
 棺桶の中の祖父は、それまで私が見た中で一番穏やかな顔をしていた。
 精神を病んでずっと苦しかったのが、死してやっと楽になったのかもしれない。そう思った。


 狂うというのは、怖い。怖くて、悲しい。
 私はそこに落ちかけているような気がしてならない。誰も巻き込みたくない。化け物になりたくない。
 祖父だってきっと怖かったはずだ。化け物になんて、なりたくてなった訳じゃない。

 分かってほしい。別にそれ以外のことはどうだっていいから、私をひとりにしてほしい。




 そう思ってしまうのは、向き合っていない、ということになるのだろうか。