浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

守る、守られるということについてのおはなし。

 私にとって大切な人の中に、ある男友達がいる。

 男性であるということも含め、実は結構クズな部分もあることを知った上で、大切だし大好きな友達である。相手がどう思っているかは分からない。本当は、友達だなんて微塵も思っていないかもしれないし、そうだとすれば、こっちが一方的に「大切な友達」だと思っているのも、迷惑かもしれない。
 それでも、自分はなるべく彼の味方でありたいし、なにより、守りたいと思う。

 「守る」というのは、とても抽象的だ。違う言い方をすれば「精神的に支えたい」なのかもしれない。彼が助けを求めたときに、もし自分が力になれるなら、自分が何かすることで彼の救いになるなら、それに応えたいと思っている。
 相手が男友達でなくても、恋人や夫に対してそういう気持ちを抱く女性はいると思うのだけど、今日なんとなく「守りたい男性」というワードでググったら、検索結果として出てきたのは、


「男性が思わず守りたくなる女性」
「男性に、守ってあげたい、と思わせるテクニック」


 こんな感じの内容のコラムがズラーッと並んだ。ちなみに、「守りたくなる男性」でも結果は同じだった。


 どうして、絶対的に「守る側=男性」「守られる側=女性」という構図なんだろう。男性は守られるはずがないほど強いのだろうか。女性は常に守られていないといけないほど弱いのだろうか。
 男性は強くなければいけないのか。女性は男性より弱くなければいけないのか。

 この構図、私の中では、男性が女性より優位に立つために作られた構図のように見えて、むしろ、男性が自分の首をぎゅうぎゅうに絞める構図だな、と思う。

 男性だって、ふと甘えたいとか守って欲しいと思うことくらいあるだろうに、この構図がとてもナチュラルにスタンダードとして染み付いている人は、女性に対して弱いところを見せまいと強がって平気な振りをして、いつのまにかそのストレスが積み重なって疲れ切ってしまうだろう。
 あるいは、素直に守ってほしい欲求を表現出来ないがために、女性との距離が出来てしまって、関係が上手くいかなくなったりもするんじゃないか。
 しかも、相手の女性の中に「守る側=男性、守られる側=女性」の構図が染み付いている場合、仮に男性が素直に守ってほしいと表現出来ても、「男のくせに弱い、女々しい」「私の方が守って欲しいのに……」という否定的な感情が生まれてしまう。特に10代から20代前半の女性の中には、こういう考えの人が一定数いる気がする。


 なんだか切ない。「精神的に支える」ということには性差なんてないはずなのに。「守る」ということばに置き換えた瞬間、どうしてこんなに優しくない意味を持ってしまうんだろう。本来はとてもあたたかいことばのはずなのに。
 たまに気持ちが弱ってしまうからって、守ってほしくなるからって、それが「弱い人間」であるということには決して直結しないのに。


 冒頭の男友達も、どちらかと言えば強がる傾向が濃い。強くあろうとするところは素敵だけど、自分の中の「悲しい構図」を崩せれば、更に強くて素敵になる気がする。
 彼だけじゃなくて、世の中の強がりな男性も。そしてもちろん、女性も。
 私自身も、「守る、守られる」ということに限らず、自分の中に定着してしまった「悲しい構図」を、崩していければいいな、と思う。

眠りたいのに眠れない夜の雑記。

 いつからだろう。最近ずっと眠れない。
 いや、「眠れない」というのとはニュアンスが少し違うかもしれない。ただ、質の良い睡眠がとれていないのは確かである。なかなか寝つけなかったり、せっかく入眠しても、眠りが浅くて夜中に何度も目が醒めたり。


 ぐっすり眠りたい。割りと切実に。


 思い返すと、ここしばらく自分が不安定であることに気づいて、まあ、私が安定していたことなど四半世紀を超える人生に於いてただの一度もあった試しはないのだけど、近頃の情緒の不安定さにはこう、なんというか筆舌尽くし難いものがあり、「眠れない原因はこの不安定さなのか」と。
 じゃあ「不安定さ」は何処から来るのか、どうすれば「安定」するのか、なんて考えた日にはますます眠りが遠退く訳で、だけれども長い年月を掛けて自分の中に確実に根を張った、この「不安定さ」ないし「歪み」「アンバランスさ」をなんとか消化しないと、安らかな眠りなんて訪れないんだろう。

 本当は、もう余計なことなんて考えずに、瞼を閉じて無理矢理にでも眠ろうとする方がいいのかもしれない。実際そうやってやり過ごしてきた夜なんて、手足の指を総動員しても数え切れないくらいあったし、それでなんとかなってきた。

 それでなんとかなってきた。
 今までは。

 もう、なんとかならない、どうしようもならないところに来てしまった。
 そうやって気付かない振りをしたり、押し込めて隠してしまったり、放置してきたことのツケが、この歳になって一気にからだとこころにのし掛かってきている。正直なところ、すごく苦しい。

 もうね、会社のトイレで隠れて泣いたりとか、家でごはん食べながら泣いたりとか、車を運転しながら泣いたりとか、お米研ぎながら泣いたりとか、シャワー浴びながら泣いたりとか、したくないんですよ。疲れるし。頭痛くなるし。顔、めっちゃ浮腫むし。泣きたくないのに泣けてきて、「あれ、なんで自分、泣いてるんだろう」みたいな。
 なんで泣いているのか自分でも分からない。自分のことが分からない。自分で自分が不気味で仕方ない。自分が気持ち悪い。その状態が、つらい。

 そして、最早ツケに知らん顔している場合じゃない、と思い至った。「自分、メンヘラなんで」とか言ってたけど、このままじゃとても正しい意味で精神を病んでしまう。というか、もう病んでしまっているかもしれない。なんとかしなきゃいけない。
 自分のツケは自分で払わなきゃいけない。私が感じてきた苦しみも悲しみも不安も恐怖も、私しか感じられないモノだったし、私の中で増幅されたモノだし、誰も肩代わりなんてしてくれないんだから。誰も助けてなんてくれない。


 と、いう訳で、セルフカウンセリングの一環として、ブログを書くことにした。いやいや、んなもん日記帳に書けよ、と思われるかもしれないが、自分の場合、元々他人に対して「素直」に表現することが死ぬほど苦手なので、あえて人目に触れるところで吐き出していこうという目論み。
 日記帳、実は少しばかりやってみたことはやってみたけれど、書いて数日後に見返してみると、なんとも恐ろしいことに、自分以外誰も見ていないにも関わらず「嘘」を書いていた。「嘘」と言うのは大袈裟だけど、自分でそう思えないのに、力ずくで思い込ませようとしている、というか。それに気付いたとき、なんだかもう愕然としてしまって情けなくて。
 他人にあまり優しく出来ないタチの人間だと自認していたけれど、自分に対しても優しく出来ないなんて。妙に甘やかすことは出来る癖に。甘やかすのは優しいのとは違う。自分をスポイルさせているだけだ。それに、納得出来ない自己暗示なんて、己に対する暴力と同じじゃないだろうか。
 そういう部分も、あえて人目に触れるところで文章を書くことで、意識的に変えていきたいと思う。

 これからネガティヴなこともどんどん書いていく。それだけではなんだか寂しいので、自分が好きなものや好きなことについてもいっぱい書いていく。自分の考えていることや感じていることも、「素直」に表現出来るようになりたい。

 もう4時だ。あと数時間もすれば、仕事が始まる。金曜日を越えれば休日。がんばろう。