浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

あまのじゃくやツンデレが許されるのは二次元だけ。

 

 

 自分で苦手だとわかっているのに、なぜかその苦手なものに突っ込んでいきたくなるときはないだろうか?

 

 何を言っているんだこいつは、という感想はごもっともだが、なにせ私は分裂している人間なのでそんなことがしょっちゅうなのである。

 

 

 

 例えば、私はビールが苦手で自ら進んで飲むことはないのだが、時々なぜだか無性にビールが美味しそうに見えるときがある。
 バーで、グラスに注がれたビールを見たときとかね。

 琥珀色の液体の上にふわふわもくもくとした泡がこんもりとなっているのはなんとも言えず美しくて、「あ、これめちゃくちゃ美味しいんじゃないか」と思ってしまう。脳内で変な神経伝達物質が放出されているのではないかと疑ってしまうくらい、ビールを飲んでみたくなる。

 

 それから、抹茶味のお菓子があまり好きじゃないのに、半年に1~2回くらいの頻度で衝動的に抹茶味のアイスクリームを買ってしまう。これもビールと同じで、無性に美味しそうに見えて食べたくなってしまうのだ。
(ちなみに抹茶味のアイスは昨日買った。)

 

 そして、口にして、思う。
「うん、もう、しばらくはいいかな(^U^;)」
 割りとまじで(^U^;)←こんな顔と気持ちになる。
 


 
「苦……思ったより美味しくなかったわ……というか、そうだったそうだった。これってこんな味だったわ。私、これあんまり好きじゃなかったわ。うん」となる。なるけれども、残すのはポリシーに反するので一応飲み干すし食べ切る。
 そして、しばらく全く手を出さない。

 

 

 私はこれを、人間に対してもやってしまう癖がある。

 


 あまり好きではない人、どちらかというと苦手な人、嫌いな部分がある人、だいぶ嫌いな人、そういう類いの人に対して。

 プロセスはビールや抹茶味スイーツと同じで、

 なんとなく会ってみたくなったり話してみたくなる。→実際に会う、話す、LINEで絡む。→あ、そうだったそうだった私はこいつが苦手だった。→(^U^;)こんな顔して若干げんなりする。→うん、もう、しばらくはいいかな。→気持ち通りにしばらく関わらない。

 そして困ったことに「苦手な人に敢えて関わる」の逆もやってしまう。

 


 「好きな人を敢えて避ける」
 「好きな人との距離が開いてしまう行動を敢えてとる」

 


 (^U^;)…………。

 


 たぶん相手も困惑しているだろう。困惑させただろう。何がしたいんだこいつは?と。(^U^;)←こんな顔どころか、(-_-#)←こんな顔にさせてたと思う。
 いや本当に何がしたいんだろうね?私も分かんないや。分からないんですよ冗談でもなんでもなく。

 
 自分の言動について分析して、原因を突き止めて、なんとか止めたいと思うのだけれど、これについてだけはどれだけ分析しても未だに原因がわからないし、対処法も全くもって見当がつかない。

 あまのじゃくやツンデレ、なんて可愛いものじゃない。それが許されるのは二次元の中だけで、三次元でやったら大惨事だ。大怪我だ。ビールや抹茶で(^U^;)←こんな顔してるだけならまだいい。
 なぜこんなにも素直になれないのだろう。
 他人にも自分にも。
 好きでもないものに突っ込んでいくのも、好きなものを遠ざけてしまうのも、もう嫌だ。


 素直になりたい。
 だから今年の目標は「素直になる」にした。
 けれど2017年が半年過ぎた今、目標の進捗率は0%だ。これが現実。

 
 素直になりたい。
 誰か、素直になる方法を教えてくれないだろうか。

撚るのも結ぶのも下手なのに、切ることだけ上手くなっていく。

 


 最近耳にして衝撃的だったひとこと。

 


 「何があっても切りたくない縁もあるし、切れない縁もあると思う」

 これを聞いたとき、愕然とした。
 私の中に、そんな考えは微塵もなかった。

 


 私は基本的に他人との関係を安定的に保つことが出来ない。保つ術を知らない、と言った方が正しいか。
 そして、最終的にその関係が切れるとしても「どうせそんなもんでしょ」と思っている。だから、小学生の頃から仲が良い友達、なんてのもいない。

 

 

 家族でさえ、血の繋がった者でさえ、簡単に裏切る。
 況んや、他人をや。
 


 今どんなに仲良くしている人だって、5年後、いや、1年後、もっと言えば明日、どうなるかもわからない。それは相手だってそうだし、自分だってそうだ。いつ何をきっかけに嫌われるか、裏切られるか。相手のことを嫌いになるか、裏切るかもわからない。
 人を信じるとか信じてもらうとか、よくわからない。
 それがなにかとても綺麗なもののようには思うけれど、私にはまるで現実味がない。おとぎ話か週刊少年ジャンプの漫画の中だけの話じゃないのか。

 


 人が、憎み合ったり騙し合ったり罵り合ったり、蔑み合ったりするのばかり見てきた。そういう状況にさらされてきた。
 その分美しい関係や優しい関係に人一倍憧れが強くて理想が高くて、それだけに些細なことですぐに傷ついて失望してしまう。
 悲しい関係や荒れた関係になりそうな片鱗を見ただけで、それを修復する気力もわかずに、ぷつりと断ってしまう。
 だから、いつ切れても傷つかない程度の関係しか結べない。
 他の人が、互いの糸でミサンガを編んだり布を織り成したりしている間、私はガタガタの糸車で細くなったり太くなったりしている無様な糸を撚ることしかできない。僅かな力で千切れてしまいそうな糸を撚ることしかできない。

 

 

 こんなことを書いたら、私のことを友達だと思ってくれている人や目をかけてくれている人には失礼かもしれない。ショックを与えるかもしれない。そんなふうに思っていたのか、自分はこの子にとってその程度の存在なのか、と。

 

 でもごめんなさい。私は自分が傷つかないように、自分の心を守るだけで精一杯です。他人を慮るだけの余裕も優しさもありません。

 

 他人を、傷つけてこない、悪意のない、安心できる存在だと認識することが出来ません。優しくされても、なにか見返りを求められているようにしか思えず、それに応えられないと役立たずと見なされるのではないかと気が気でなりません。

 

 言い方がきつくてエグいとか毒舌が過ぎて切れ味がスゴイとか言われるけれど、それは上手に他人の悪意をかわす術を知らないし、自分の心を守る盾がなくて、絶えず攻撃することでしか自分を守れないからだと最近気がつきました。
 嫌な気持ちになったり傷ついたりしたとき、そうするのを止められない、「攻撃は最大の防御」を地で行く破滅型の欠陥人間です。ただのクズだよほんと。

 

 

 かつては。
 素直に、飾らず、甘え合ったり助け合ったり出来る関係を、一緒に居て少しでも安らげる関係を、誰かと築けたらいいなと思っていた。
 けれど私みたいな人間には高望みすぎる。
 人が怖くて、傷つくのが怖くて、自分を守るために威嚇するしか能のない、汚い野良猫みたいな私には。

 

 

 切りたくない縁、切れない縁。
 それを実感出来る日なんて、結べるときなんて、来るのだろうか。

感情は心中し、大事にしたかったはずのモノだけが、腐る。

 

 

 たとえそれが不満であっても、自分の中の感情は小出しにした方がいい、という話。

 


 感情を「良い感情」「悪い感情」と価値判断するのはあまり望ましくないのだけど、世間的にネガティヴな感情だと見なされている気持ちを殺すと、なんとポジティヴな感情(だと見なされている気持ち)も死ぬ。

 

 

 それを実感したのはつい昨日のこと。

 

 

 私は恋愛戦線から離脱して、今後そこに戻るつもりも今のところ毛頭ないのだけど、最後に付き合った人とはぐだぐだにこじれて、けれどあっけなく終わった。

 

 先日知人に、もう本当に未練はないか、と聞かれた。
 未練もなにも、それ以前の問題で、好きだったかどうかすら正直よくわからない。
 ただの依存だった気もするし、嫌いではなかったと思う。嫌いではなかった。

 


 と思っていた。

 


 もちろん好きだったときもあったはずだ。でなければ付き合わない。

 けれど、ひとつひとつ思い返してみて、はたと気がついた。


 私の彼に対する「好き」という感情は、いつのころからか息をしていなかった。

 

 相手に対するたくさんの小さな不満、こうしたいああしたい、一緒にこれが出来たらいいのに、と思っていた気持ちを、分かってもらうことも表現することも諦めて、我慢して、押さえ付けて、葬り去った結果、ものの見事に「好き」という気持ちも一緒に死んでいた。

 

 


 周りからはなんでも思ったことを言っているように思われがちで、ハッキリ物を言うタチに見られているけれど、本当は言わないでいることも言えないでいることも、たくさんある。

 

 ここで敢えて書く必要がないから書かないけれど、その人と付き合っているときに言わないでいたことも言えないでいたことも小さいものならキリがないくらいにあった。不満も、直してほしいところも、望みも、全くもってくだらないことから、私にとってはかなり重要なことまで。

 


 そういうものを表に出すのも嫌だった。
 反論されるだけならまだいい。それはお前のわがままだとねじ伏せられるなら言わないほうがマシだったし、それに、そういうわだかまりが胸の底でくすぶる度に、相手のことを嫌いになりそうで、でも嫌いになりたくなくて、なかったことにしようとした。

 

 なかったことにするために、殺した。

 

 そうしたら、相手のことが「好き」なのかどうか、わからなくなってしまった。嫌いになったというより「好き」という気持ちまでもが、死んだ。

 

 

 感情は連鎖的に死ぬ。いとも簡単に。


 


 「好き」が死んで、私はその人と居るのが苦痛になった。苦痛で苦痛で、死ぬほど苦痛で仕方なかった。
 それに、私の内部は分裂しているから、相反した感情に振り回されて疲れきっていた。
 しかも、その人と居ると、より自分が分裂した。
 本当の自分が、これまで以上にわからなくなって気持ち悪くて、そして相手のことも気持ちが悪くて仕方なくて、いつもイライラしていた。
 顔を見ているだけで殴ってやりたくなったし、傷つけてやりたくてたまらなかった。

 


 それでもまだ、嫌いになった訳ではないと思っていた。
 昨日までは。

 


 好きだったのかどうかもわからない。けれど、「好きだったはずだ」と、それを思い出そうと、昨日突然思い立って、かつてネガティヴな感情とともに深い墓穴に埋めてしまった「好き」を掘り出してみることにした。
 掘り起こすと、当たり前と言えば当たり前だけれど、無数の不満や諦めや望んでいたことや、やりきれなさがどんどん出てきた。
 それらはとても鮮明で、全く変わらない姿かたちで、私に迫ってきた。ついさっき埋めたばかりのものを取り出したように。

 

 けれど。
 最後に出てきたのは、「好き」ではなかった。
 「好き」は見るも無惨に腐りきって、でろでろと溶け、「嫌い」になり果てていた。

 

 


 やっと気がついた。
 やっと直視した。
 そうか、私はあの人のことが嫌いなんだ。
 嫌いになってしまったんだ。

 

 


 「嫌い」だと思ってはいけないのだと、「嫌い」になるなんて幼稚だと思っていた。だから、私は感情の墓を決して掘り返さなかった。「嫌い」の元になる不満や諦めや望みややりきれなさを、掘り返さなければ大丈夫だと思っていた。
 けれどもその一方で、土の中から漂い続ける腐臭にずっと苛ついていた。何故だか腐臭の原因を作ったのは彼である気がして、怒りが収まらなかった。悪臭を放つ正体が分からずに、彼に対する妙な執着を手放せなかった。
 

 

 それが、「嫌い」だと認めた途端、臭いがなくなって、怒りが嘘のようにするりとからだから排出された気がした。
 なんだかもう、そんなにイライラすることでもないような、どうでもいいことのように思えた。
 メビウスの輪のように延々と辿っていた怒りのループから、突然別のところにふっと抜け出した。

 

 そして、今日は昨日より、いくらかマシな気分で過ごすことができた。

 

 

 


 感情は、ひとつだけ殺す、ということが出来ない。
 殺されそうになった感情は、いくつもの道連れを伴って心中する。
 だから感情は出来るだけ殺さない方がいい。たとえそれがネガティヴなものでも。
 失いたくなかったはずの感情が、腐って変わり果ててしまわないように。

 

 腐ってしまえば、もう元には戻らない。
 でも、腐ってしまったものを見ないふりや気づかないふりでやり過ごすのも、自分を苦しめるだけだ。
 腐ったものは腐ったのだと認めるしか、自分が楽になる術はない。

 

 


 腐ったものを認めて、やっと、僅かばかりだけど、胸が軽くなった。
 さて、明日からどうしよう?

感情を抑圧すると、分裂しちゃうよ。

 


 自分の中に複数の自分がいるように感じたことはあるだろうか。

 


 少なくとも、人はTPOを弁えて本音と建前を使い分け、いくつかの仮面を被るものである。
 しかし、仮面を使い分けている(=演じている)感覚はあっても、その仮面ひとつひとつが自分と切り離された存在だと感じることはあまりないだろう。
 一般的な人の感覚ではきっと、「自分」という本体が居て、仮面だけをとっかえひっかえしているのだと思う。もちろん、私もそういうふうにするときだって、感じるときだってある。


 だけど、仮面の使い分けのようにコントロールすることのできない「自分」が、私の中には居る。
 それも複数。


 決して解離性同一性障害(多重人格)ではない。あんな風に、記憶がなくなったりはしない。ただ、自分の中に何匹もの化け物がいるような感覚がある。
 中二病的な話ではない。上手く説明出来ないのだけど。

 


 例えば。
 恋人が隣にいて、触れたい、とか、甘えたい、とか思ったとする。その一方で、甘えたい欲求を持っている自分をみっともない、とか、気持ち悪い、とか思う自分がいる。甘えることと、わがままを言うことの区別がつかないから、甘えることが悪いことのように思えてしまう。
 結果、触れることも甘えることもかなわない。
 そういうときに相手から触れられたり甘えられたりすると、「向こうが甘えてきて、こっちはそれに応えてるんだから、その対価としてこっちも甘えて大丈夫だ」と安心して、少し甘えられるようになるときもある。

 

 厄介なのは、そこに怒りが生まれてしまうとき。

 

 甘えたくても、そんな欲求がわいてくる自分が気持ち悪くて抑えていると、甘えてくる相手まで気持ち悪くなってきてしまう。
 なんなんだお前は、と。
 私は抑えてるのに、なんでお前は我慢しないんだ、ふざけるな、と。

 


 そういう感情や思考すべてが、自分のもののようでいて、自分のものでないように感じる。
 自分ではコントロールできない、化け物のような。

 

 
 自分の本当の感情は、思考は、一体どれなのか自分でもさっぱり分からない。分からないから、ひどく混乱する。
 相反・対立し合う感情や思考が常に自分の中にあって、それらがいがみあって批判し合って喧嘩している状態。そしてその喧嘩をやめさせることは出来ないし、混乱が激化すると、尋常でない量の、得体の知れないエネルギーが充満してきて膨脹して、頭も心もからだも、内側から破裂してぐちゃぐちゃに裂けてしまいそうな感覚に陥る。

 


 これ、ものすごく、しんどい。

 


 上に挙げた例ならまだいい。
 まぁ、こういうことが色々と積もり積もって、大体私の恋愛は上手くいかない。でも、それなら恋愛からリタイアしてしまえばいい。誰も好きにならないように、好きになっても付き合いたいとか思わないように心に鍵を掛けて、恋愛感情など無かったことにして戦線離脱してしまえばいい。

 


 だけど、もっと普遍的なことだとそうはいかない。

 


 例えば。
 人に会いたいな、と思う。誰かと話したいな、と思う。
 その一方で、とにかく人と関わりたくないと思う。誰とも口を聞きたくない、誰の顔も見たくない、と。

 

 例えば。
 明日これがあるから今日これやらなきゃ、と思う。どこそこに行きたいな、と思う。休日にこれやりたいな、あれ出来たらいいな、と思う。
 その一方で、明日、目覚めなければいいのに、と思う。朝目覚めると、なんで生きてるんだ消えれば良かったのに、と思う。自分が存在していることにイライラする。死ねばいいのに。
 また一方では、そういうネガティヴなことを考えている自分が気持ち悪いし、嫌い。「お前のそういうマイナス思考が嫌いだ」と言われたことがあるけど、分かる。うん、私も嫌い。だけどどうしていいのかわからない。

 そして、そういう全ての感情と思考を内包してぐぢゃぐぢゃになっている自分を、許して欲しい。
 誰も許してなんてくれないけど。私だって許してないし。

 

 

 こんな感じで内面がカオスな為、私はいつもしんどくて、いつも疲れている。
 自分ではない複数の自分の、延々と続く戦い。

 

 

 自己が自意識を持ってなお、分裂してしまった原因は明らかで、私は生来的に感情の起伏が激しいのに、幼いときからそれを抑圧しなければいけない環境にあったからだ。
 激しいものを無理矢理押さえつければ、壊れるに決まっている。時速20キロで走っている車より時速100キロで走っている車が壁に衝突した方が、被害が甚大になるのと一緒で。

 


 でも、それをなんとかしたくて、色々調べた。
 自分の資質と、過去の影響でこうなってしまったけれども、これからなんとか変えられないかと思ったし、変わりたいと思ったから。
 そして調べて出てきた解決策は大方、
「信頼出来る人に話を聞いてもらい、自分をさらけ出しましょう」

「素直な感情を人に伝えられるようになりましょう」だった。

 

 

 絶句した。

 この時点で、もう、どん詰まりになった。

 

 

 信頼してる人なんて、たったの一人もいないんですが私は一体どうしたらいいのでしょうか。
 こんな頭のおかしい話をして、否定せずに受け止めてくれる人なんていないと思うのですが、一体誰に話せと言うのでしょうか。
 言っても分かってもらえなくて散々傷ついて諦めたのに、まだ傷つかないといけないのでしょうか。

 

 

 もう疲れたよ、パトラッシュ。

 

 

 そしたら、毎日涙が止まらなくなってしまった。

 

 27年と10ヶ月、正確に言うと自己分裂を自覚したのが小学校低学年くらいだったから、20年近くもの間感情を抑圧してバラバラになった自分を放っておいた結果、アラサー女は毎日涙が止まりません。
 不眠治療で心療内科に行ったときのオイシャサマの対応が雑すぎて、病院に行く勇気も出ないよ。

 

 

 だから、複数の自分がいるような感覚が少しでもある人は、気を付けてほしい。そういう人はきっと、ずっとずっと小さい頃から無意識の内に、自分の感情を抑圧してしまった人だと思うから。

 自分の本当の感情や思考がどれなのかわからなくならないうちに。
 私みたいにならないように。
 手遅れにならないように。

 

より無になったんだが。

 以前、セルフカウンセリングをやってみたことはブログにも書いた通りだけど、セルフカウンセリングをしてから慢性的な消滅願望が無くなって、自分はてっきり「良い方向に向かっている」のだと思っていた。

 ちなみに、あくまで「希死念慮」ではなく「消滅願望」である。つまり、「死にたい」のではなく「消えたい」。存在としてこの世から消えるだけでなく、自分が存在した痕跡すべて……他人の中にある自分という存在と、それにまつわる記憶もすべて、消えてしまえればいいのに、という欲求が小学生くらいのときからあった。

 それが無くなった、感じなくなったということは、あとはもう浮上するだけじゃないか、いえーい!と思っていた。
 思っていたのだけど、どうやら違うということに、今日ふと気付いてしまった。



 消えたい、とは思わないけど、生きたい、とも思っていない。

 消えたい、とは感じないけど、何故か、より物事に対しても他人に対しても、興味が失せている。

 消えたい、と思わないけど、前より幸せを感じられる瞬間が少なくなった。

 日常の些細なことへの楽しみや、わくわくする気持ちが感じられなくなってしまった。



 ついさっき気付いたことだ。

 前は、人とおしゃべりするのが好きだった。だけど、今は出来るだけ他人とコミュニケーションを取りたくない。話すと疲れてしまう。自分を取り繕っているような感覚が抜けない。
 話したい!と思って友達に会っても、会話しているうちに、なんだか自分が無理矢理話をしているような気がしてくる。もちろん会話の最中には笑うし、楽しいような気持ちもあるけれど、それは自分の表層を覆っているだけのかたい殻みたいで、だんだんと自分の感情ではないような感覚に陥り、その場は「じゃあね」と笑って帰るのに、家に着くと酷く疲弊している。

 前は、美味しいものを食べると、少しでもハッピーな気持ちになれた。今は、次の食事までの数時間、自分の身体を維持できるなら何でもいいし、なんなら食事すら億劫に思うときもある。植物みたいに葉緑体光合成出来たらいいのに、と。
 どこのお店のなにが食べたい、という気持ちが起こっても、それすら自分の気持ちではないような気がしてしまう。口に出せば出すほど嘘っぽい。だって実際に行くこともないのだから。

 前より、他人に対して苛々することが少なくなってきたことも、良い傾向だと思っていた。
 けれど、違う。単純に、他人に対する興味が失せてしまった。
 別にあなたが辛い目に遭おうと、嫌な気持ちになろうと、死のうと、私には関係ないし、どうでもいい。前はあまり感じることのなかった、そんな感情。どれだけ口で「私は知らないもん、どうでもいい」と言っていても、本当は心配だったり、気に掛けていたのに。
 多分、自分に対する興味、というか、正しい自己愛が育まれる方向に行けば、そういう状態であっても悪くはないのかもしれない。他人の心配より自分の心配をして、自分の軸をしっかり持ってから他人のことを考える、という意味で。
 でも正直、自分にも興味を持てない。何をしたいのか、自分でも全くわからない。自分の欲求がよくわからない。前からよくわからなかったけれど、さらにわからない。


 ひたすら、無。
 より、無。


 なんだこれ。未だかつてない感覚。からだにも頭にも心にも、それに対する違和感だけがある。よくわからない。これは一体なんなのか。これは私の中のどういう反応なのか。これからどういう風に転がっていくのか。
 恐怖も不安もない。かと言って安心感なんて微塵もない。涙も出ない。ネガティヴな感情を素直に受け止めて泣くことが出来れば、浄化される感じがあるのでそうしたいところだけど、ネガティヴな感情も特にない。なりを潜めているだけなのか?

 もしかしたら、消えたい、という私の幼いころからの欲求は、ある意味では、生きたい、と同じくらいに大事なエネルギーだったのかもしれない。もしくは、生きたい、という欲求の裏返しだったのかも。消えたい、という欲求があるときは、創作的なエネルギーにも溢れていたし、消えたい、と思う分、嬉しいことがあったときには、それが本当に大切なことのように思えた。このために、もう少しだけ消えないでみよう、と。
 今はそれがない。なんにもない。晩ごはんを食べていないのだが、空腹も感じない。ただただ、無。

 でも、こうやって書いていても、やっぱりなんかもうどうでもいい。
 以前、ホルモンバランスの乱れが激しすぎて婦人科にかかったときに処方された抗不安薬があって、そのときは精神安定剤に対する恐怖があったので飲まなかったのだけど、さっき取って置いていたのを思い出して、なんとなく試しに服用してみた。
 特に何も変わらない。気分が晴れたりするのかと思ったけど。


 これって何なんだろう。良い反応なのか、悪い反応なのか。
 明日になったらわかるのだろうか。

Jewelって、随分と思い切った名前だな。

 掲題のJewelというのは、私の好きなシンガーソングライターの名前である。
 Jewel……日本語だと「宝石ちゃん」。ものすごい破壊力だが、英語圏だと俗に言うキラキラネーム扱いにはならないのだろうか。まぁ、CrystalちゃんやJadeくんがいることを考えれば、割りと普通なのかもしれない。
 ただひとつ言えるのは、この人の歌唱における表現力は宝石並に貴重で素晴らしいってこと。マジで尊い。
 Jewelのオリジナルアルバムはほぼ持っていて、ひとつひとつのアルバムの中に(個人的には)結構捨て曲(だと感じる曲)もあるのだけど、表現力という点に絞って聴くと、その多様性に驚かされる。と、いうわけで、そんなJewelの曲の中から、私が好きな曲(と、その歌詞の中でも好きな部分)をピックアップして、つらつらと書いていきたい。

※ちなみにところどころで引用する歌詞は、日本版CDに付いてる対訳を参考に、私の貧相な英語力で訳した意訳です。(なぜって、そのまま載せちゃうと著作権に引っ掛かるんじゃないか、ってビビったからです。)日本版が発売されなかったものに関しては、完全にニュアンスで訳しているのであしからず。
 それから、あくまでオリジナルアルバムとして何枚目かを数えているので、クリスマスコンピレーションアルバムとか童謡カバーのアルバムとかは数に入れてないです。ご了承いただきたい。




  • Foolish Games(1st album"Pieces of You"収録)

 この曲はアルバムヴァージョンとシングルヴァージョンがある。個人的には圧倒的にアルバムヴァージョンの方が好き。ちなみにYouTubeで見られるMVはシングルの方です。(このMVに3人の怪しい女が出てくる。なんとなくシェイクスピアの「マクベス」の魔女を想起させられる。)
 しょっぱなから、もの悲しい感じ全開の曲。ピアノの音が寒々としていて、切なさを掻き立てられる。秋から冬への変わり目くらいの温度感。呼吸したとき、鼻の奥が風の冷たさで痛むような。
 内容は、端的に言うと大失恋の歌。だってもうサビの歌詞が、
「こんな馬鹿みたいなゲームが私を引き裂いて
 あなたの心無い言葉に この心は壊れていく
 あなたのせいでボロボロになっていく」

って、一体どれだけ傷つけられてるの。
 しかも、この「あなた」っていうのが厄介なヤツで、雨の中コートを脱いで突っ立ってるわ、髪はボサボサだわ、芸術について語るわ、真面目にお金を稼ぐことの意味を説教してくるわ、なんかよくわからない変なやつである。
 ミステリアスな男に惹かれて、結局ダメになる女。いるいる。よく居る。
 そして、
「ごめんなさい、あなたのこと
 他の誰かと勘違いしていたみたい
 優しい人だと思ってたし
 私とよく似ている人だって思ってたのに」

 うん、そりゃあ往々にしてそうなるわな。当然の帰結。
 でも多分、拗れた恋愛の終わりなんて、大体こんなものかもしれない。相手を好きだったことさえ、「ただの勘違い」だったことにしなければ、つらくて仕方ないのだ。「勘違いしてた私が悪いのよ、馬鹿だったのよ」って、当てつけが半分、相手をこれ以上嫌いになりたくがないための自責が半分。この部分の歌い方が、泣き出しそうになっているのを堪えているようで、すごく胸を打たれる。
 バラードが好きな人には、是非聞いてほしい1曲。


  • Who Will Save Your Soul?(1st album"Pieces of You"収録)

 ファーストアルバムのファーストトラック。でも実は、セカンドアルバムのボーナストラックとして収録された、ライヴヴァージョンの方が好き。ライヴヴァ―ジョンなので、音質ははっきり言ってカスなんだけど、大サビの声の伸びが半端ない。あと、ところどころ声が掠れ気味になるのも、また良い。

 私は小学生の頃から鬼束ちひろの歌が好きで、彼女がJewelに影響されて歌手になったと知ってから、「Jewelの歌を聞いてみたい!」と思っていたんだけど、当時中学生の自分が単独で行動出来る範囲に洋楽のCDを豊富に取り扱っている店がなくて。14歳の誕生日に、友達が偶然中古で見つけてプレゼントしてくれたのがセカンドアルバムだった。
 最初はJewelの歌の良さが全然わからなくて、期待値が上がっていた分ガッカリしたけど、ボーナストラックだけは何故かすごく気に入って、ずっとそればかりリピートしていた記憶がある。

 社会風刺を交えながら自己救済について歌っていて、出だしの
「テレビの中ではあなたのために生きている人たちが
 自分はあなたより優れている と言い放ち
 あなたもそれに賛同する」

という歌詞と、2番のサビ前の、
「私たちは花の数ほど多種多様な神様に祈り
 宗教を友達と呼ぶけど
 魂の救済ばかりに気を取られて
 始めることを忘れている代償を
 神様に請求されるんじゃないかと恐れてる」

という歌詞が好き。

 曲名もそうだし、サビでも繰り返し歌われる、「あなたが自分で救わないなら、一体誰があなたの魂を救ってくれるのよ?」というメッセージ。
 都合の良いときだけ神様にすがったり、悪いことがあればすぐ神様のせいにしたりするもんじゃないよ、と。神様になんとかしてもらおうとするんじゃなくて、自分でも少しはなんとかしようという努力をしろよ、と。初詣にかこつけて友達といろんな神社に受験の合格祈願に行く暇あったら勉強しろよ、と。そういうことですよ。


  • Cleveland(3rd album"This Way"収録)

 この曲の何が良いって、メロディーとか編曲とかはどうでもいいんですよ。もう本当、どうでもいい。(あ、ちなみに曲調としてはカントリーロックポップです。多分。)
 とにかく、ブリッジの部分の歌詞。これに尽きる。

「私からあなたまでは たったの1インチ」

 1インチは2.54センチなので、めっちゃ近い。ほぼほぼ密着してるようなもの。で、この次の歌詞が、

「どんな縮尺の地図を使うかによるけどね」

 これ、もう、やられたー!って思った。近いと思わせて、一気に距離を開かせる、この技巧。とにかく、たった2行のこの歌詞が素敵過ぎる。
 この曲に関して言いたいことは以上です。はい。


  • Stand(4th album"0304"収録)

 前3作がカントリーを基調としたロックやポップスで構成されているのに対して、このアルバムはいきなりダンスミュージックに作風が変わって、賛否両論……というか、どちらかというと否定的な意見が多かったらしい。私は、これはこれで面白いと思うし、このアルバムに収録されている曲の歌詞を上手く表現するには、これが最善だったと思う。
 正直な話、Jewelさんだって、いつも内省的な歌ばかり歌っていたら退屈だと思うんですよ。たまにはセクシーさを全面に押し出した曲だって歌いたいし、難しいことは無しにして単純に「うぇーい!たのしー!」みたいな曲だって歌いたいでしょう。それに、相変わらず社会風刺を織り混ぜた歌詞や内省的な歌詞は健在だし、それをダンスミュージックに乗せるっていうのがまた良いじゃないですか。

 これはまさにそういう曲。
「街角の店に入ると
 万引きしようとしている警官がいて
 拳銃を持った老婆に出会う
 ほら 英雄は逃げ出そうとしている
 見かけどおりのものなんて何にもない つまり
 世の中 汚いものばかりじゃないけど
 綺麗なものばかりでもないってこと」

 本当そうだよねぇ……当たり前のことなのに、こういう真理を人は忘れがち。
 2番の歌詞もなかなか過激。中でも、
「市長は現金を持ち合わせていない
 売春婦と大麻を買うのに使っちゃったんだってさ」

 この部分、よく検閲通ったな、と思う。意外とアメリカはこういうブラックジョークもアリなんだろうか。アメリカよりイギリスの方が恐ろしいほどシニカルなブラックジョークをかますイメージがあるけど。

 あと、好きなのはサビの中の次の歌詞。
「残念だけど 人生がもたらす苦痛は
 誰のせいにも出来ない」

 これは"Who will save your soul?"の内容とも通じてるな、と。自分の人生における苦痛は、他の誰でもない自分が背負うしかない。だけど、必ずしも自分が悪いから酷い目に遭うって訳でもない。だからと言って、それは誰かのせいでもない。誰のせいでもない。誰のせいにも出来ない。
 つらい。本当につらい。でもみんな、そうやって生きていくしかないんだよな、と改めて思い知らされた後でぶつけられる、
「私たち一緒なら 立ち向かっていくことも出来る」
ということば。「ひとりだけど、ひとりじゃないんだよ。」ってことなんだろうなぁ……と、私は解釈している。


 この曲の良さは、ただひたすらにエモーショナルでセンチメンタルでメランコリックでメロウなところ。あと、Jewelの声が可愛い。
 歌詞?正直よくわからないです。歌詞なんかどうでもいいんだよ。考えるな、感じろ。
 ……いや、私は結構、抽象的で隠喩バリバリの歌詞でも違和感なく聞く方ではあるんだけど、これはなんか、失恋の歌ともとれるし、上手くいっていない遠距離恋愛の歌ととれなくもないし……もう、ああだこうだと変に解釈せずに聞いた方がいいのではないかと思う。
「朝になると 思うの
 あなたはどこにいるのかな
 誰と話しているんだろう
 あなたのいる場所では日が昇ったのかな って
 朝になると 恋しくなるの
 私の肌に触れるその手が
 あなたがいないと このベッドは広すぎる
 ねぇ神様 どうしよう?
 私は1000マイルも離れて
 あなたの隣に横たわっている」

 試しに1番だけ歌詞を書いてみたけど、他の人はどう思うんだろうか。気になるところ。


  • Stronger Woman(6th album"Perfectly Clear"収録)

 5枚目のアルバムからゆるやかにカントリー路線へ回帰して、穏やかな曲でまとめられた6枚目のアルバムの、ファーストトラック。女性への純粋な応援歌。
 歌詞ははっきり言って安直。ストレートで、何か特別なことを言っている訳でもなく、良くも悪くもわかりやすい。
 MVの方にも、歌詞の内容がとってもとってもわかりやすく反映されている。各国の各時代の衣装に身を包んだ女性たちが、窮屈なコルセットや顔を隠すベールを脱ぎ捨てていく。Jewel自身も、ドレスにつけられた錠を外し、つけまつげを取って、「自己解放した飾らない私」としてステージの上で歌う。
 普段はストレートな歌詞の歌より、多少難解だったり、やたら内省的だったり、情景が頭に浮かぶようないかにも叙情的な歌詞の曲ばかり好んで聞く私だけど、なぜかこの歌にはものすごく救われた。
 落ち込んで落ち込んで、どうしようもなく消えたくなったとき、このストレートなことばが静かに胸に沁み入って、少しだけ元気を取り戻した。空腹さえ感じられないくらい沈んでいた心が、ゆっくりと浮上していくような。

「他の誰よりも自分を愛していくの
 誰に見えなくたって 私は信じてる
 自分の中の強い女性を
 自分自身の親友になって 最後まで離れない
 もう自分を見失ったりしないわ 二度とね
 だって 私の中には 強い女性がいるから」

 女性という性は、時に足枷となるけれど、それを含めて自分というものを受け入れ、人生を全うしていこう。

 小さい頃、男だったら良かったのに、と何度も思った私には、耳が痛いメッセージ。でも、私が私として生まれ落ちたからには、女性という性も含めて生きていかなきゃいけない。それはある意味とても不幸だけれど、ある意味ではとても幸運なことなのかもしれない、と、今は思う。


  • Ten(7th album"Sweet and Wild"収録)

 このアルバムを買ってすぐ、車で流し聞きをしたとき、ジャケットの裏の曲名を見て「10って、なにが?」と思った記憶がある……。
 恋人(または配偶者)と喧嘩して仲直りする、という内容で、35歳かそこらでこの歌詞を書いて歌えるJewelは、とてもチャーミングな人だなと思った。
 語弊があるかもしれないけれど、決して年齢がどうだこうだと言っている訳じゃない。この歌にはいくら歳を重ねても消えない少女性みたいなものがあって、それを臆面もなく歌ってしまえるのが、本当に可愛いな、と。こういう人を本当に可愛いというのではなかろうか。私にはないね、こういう愛嬌。

「恋愛なんて簡単だ って言ってのける人は
 恋に落ちたことなんてないはず
 それは時に地雷となって
 一歩踏み違えると爆発してしまう
 ちょっとしたひとことや表情が
 隠された導火線に火をつける
 激しく怒っているとき
 自分のしたことに気付くのは難しい
 後悔するってわかっていることを
 やるのは簡単なのにね
 立ち止まって 考えて 離れる前に10数えるの

 1、まだあなたのことを憎んでる
 2、3、まだ離れたいと思っている
 4、ドアを探して
 5、そしたら あなたと目が合って
 6、深呼吸して  7、一歩戻って
 8、9、なんでこの喧嘩を始めたのか分からなくなる
 そして10数え切る前に
 またあなたの腕の中に戻る」

 なんなのこれ。やたら可愛いな。
 しかし何度読んでも自分の中にはない感覚すぎて、どうしようねこれ。
「後悔するってわかっていることをやるのは簡単なのにね」。いやもう、本当それですよ。怒りに任せてひどいことを言っちゃうのなんて日常茶飯事。改めなきゃな、って思う。改めるような相手もいないけれど。

 このあと、
「感謝の気持ちを抱いていないものは
 失くしてしまいやすいの
 だけど あなたと私には
 そんなこと起こってほしくない」

という歌詞の後に、「Better count my blessings」と続くんだけど、ちょっとここの訳し方がイマイチしっくり来ない。ただ、おそらく意味としては、「私があなたのためにしてることに気づいてね。そういうことを見落とさないでね。あなたが私といて楽しいとか安らぐな、って思う気持ちを忘れないでね」ってことなのかな、と。
 夫婦が仲睦まじく過ごす秘訣は、相手を尊重すること、相手に感謝することだとよく言う。Jewelがこの曲を書いたのが、結婚する前なのか後なのかは分からないけれど、結婚後に書いたのだとしたら、この歌は旦那さんへのメッセージなのかもしれない。そう考えれば、ますます可愛いな……
 とりあえず、大切な人や友達と、仲違いしてしまったときには、この歌を思い出そうと思う。




 以上7曲。他にも好きな曲はあるのだけど、スマホで入力することの限界がかなり初期の段階で見えてしまったので、出来るだけ絞った。(フリック入力で長文打つの、想像以上にしんどい……。)しかも、実は友達にちょうどCDを貸している最中だったので、意訳なんかはかなり曖昧なところが多いです。ごめんなさい。
 上に挙げた曲は、全部YouTubeさんで検索すれば聴けるはずなので、もし少しでも興味がわいたら、聴いてみてほしいです。いつか、鬼束ちひろの歌についても書きたいなと思う。好きな曲が多すぎて、腱鞘炎になりそうだけど。

ひとりになりたい。

 ある人との関係を切りたいと、しばらく前から行動しているのだけど上手くいかない。
 その人のことが大嫌いだとかそういう訳ではないけれど、繋がっている以上お互いに不利益をもたらすようにしか思えない。泥沼の中で首を絞め合っているような、もの悲しさを感じる。さすがに勝手に切るのは失礼だと思ったので、連絡を取れないようにさせてほしいとずっと言っていた。

 だけど、連絡を、関係を絶とうとするのは、私が自分自身に向き合っていないのだと言われた。

 どうしてそんな風に簡単に言うんだろう。

 その人と関わっていると、どんどん自分が化け物みたいになっていくようで嫌だ。ただでさえ不安定でキチガイじみている自分が、さらにおかしくなっていく感覚が怖い。診断された訳じゃないけれど境界性人格障害者みたいで……そこに片足を突っ込んで抜けなくなっていくようで、自分が気持ち悪くて仕方がない。

 相手のことだって、そんな自分に巻き込みたくなんかない。時々爆発する猛烈な怒りに巻き込みたくなくて、だから離れたくて。
 
 狂った自分でいたくないと思うことの、何が悪いんだろう。冷静な状態でいられないのにどう向き合えと言うのだろう。落ち着いた状態でゆっくりと、絡まった糸をほどいてやり直したいだけなのに、どうしてそんな風に煽るんだろう。
 どんどん不気味な化け物になっていくのに歯止めを掛けたいだけなのに。


 私は知っている。心を病んだ人間は、世間から気味悪がられて落ちこぼれてしまうことを。化け物のレッテルを貼られ、治ることが出来なければ、死ぬまで悲しく、寂しく、生きるしかないことを。


 私の母方の祖父は統合失調症を患っていた。
 母方の家は元は大地主で、祖父は長男としてものすごく厳しく躾られたらしい。周りからの重圧や激しい妬み嫉みに晒されたことで、とうとう精神を病んでしまったという。
 周りには、祖父はあなたのことだけはとても可愛がっていたよ、と言われる。それはなんとなくは分かる。私のためにディズニーアニメのビデオ(当時はまだVHSだった)やキーボードを買ってくれた記憶があるから。
 だけど、幼い私の目から見ても祖父は異常だった。仏壇には、ラッカースプレーでまだらに色付けされた謎の石が置かれていたり、骨董品らしきものにもペンキのようなものでやたらと色が塗られていた。買い物依存症だったのだろう。訳の分からない色んなもので祖父の部屋はいっぱいだった。
 可愛がってくれていたのかもしれない。けれど私の記憶の中で一番印象が強いのは、激しく怒鳴って暴れている姿だ。

 怖かった。とてもとても怖くて、私は毛布を被って泣きながら震えていた。

 小学生のときにはあまり会わなかった。ただ、周りの大人たちの行動を見て、話すことを聞いていて、私は物事がどういう風に進んでいるのかなんとなくわかっていた。
 祖父は精神病棟に入院させられた。
 そして精神病棟は、異常者の巣窟なんだ、と。
 それだけは小学生の私にもわかった。


 化け物扱いされて、祖父は閉鎖病棟で晩年を過ごした。最期は、病院で出されたお菓子を喉に詰まらせて死んだ。私が中学生のときだった。


 死ぬ前に一度祖父に会ったことがある。精神病棟の面会室で、母と父と一緒に待っていると、閉鎖病棟の防火扉みたいな大きな戸が開いて看護師さんと祖父が出てきた。
 最後に見たときより祖父は痩せていて、あまり生気が感じられなかった。それでも私を見る目は優しくて、表情はどこか嬉しそうに見えた。
 私はなにも言えなかった。ただただ泣けてきて、まともに会話が出来なかった。


 怖くてもおかしくても、私は祖父のことが好きで、だけど彼は世間からすればただの化け物なんだ。
 その事実が、ひたすら悲しかった。
 面会を終えて閉鎖病棟へ戻って行く祖父の背中は、とても寂しそうに見えた。


 祖父は、死後、解剖の検体として大学病院に遺体を提供するという会に入っていたので、葬式はあげられなかった。解剖後、処理を施して遺体を火葬してくれる(確かそうだったと思う。中学生だったのでよく覚えていないけど。)のだが、その前に家族で大学病院に行き、遺体に向かって手を合わせた。
 棺桶の中の祖父は、それまで私が見た中で一番穏やかな顔をしていた。
 精神を病んでずっと苦しかったのが、死してやっと楽になったのかもしれない。そう思った。


 狂うというのは、怖い。怖くて、悲しい。
 私はそこに落ちかけているような気がしてならない。誰も巻き込みたくない。化け物になりたくない。
 祖父だってきっと怖かったはずだ。化け物になんて、なりたくてなった訳じゃない。

 分かってほしい。別にそれ以外のことはどうだっていいから、私をひとりにしてほしい。




 そう思ってしまうのは、向き合っていない、ということになるのだろうか。