浮かび上がる、沈み込む。

単なる日記、あるいはセルフカウンセリングの一環。

より無になったんだが。

 以前、セルフカウンセリングをやってみたことはブログにも書いた通りだけど、セルフカウンセリングをしてから慢性的な消滅願望が無くなって、自分はてっきり「良い方向に向かっている」のだと思っていた。

 ちなみに、あくまで「希死念慮」ではなく「消滅願望」である。つまり、「死にたい」のではなく「消えたい」。存在としてこの世から消えるだけでなく、自分が存在した痕跡すべて……他人の中にある自分という存在と、それにまつわる記憶もすべて、消えてしまえればいいのに、という欲求が小学生くらいのときからあった。

 それが無くなった、感じなくなったということは、あとはもう浮上するだけじゃないか、いえーい!と思っていた。
 思っていたのだけど、どうやら違うということに、今日ふと気付いてしまった。



 消えたい、とは思わないけど、生きたい、とも思っていない。

 消えたい、とは感じないけど、何故か、より物事に対しても他人に対しても、興味が失せている。

 消えたい、と思わないけど、前より幸せを感じられる瞬間が少なくなった。

 日常の些細なことへの楽しみや、わくわくする気持ちが感じられなくなってしまった。



 ついさっき気付いたことだ。

 前は、人とおしゃべりするのが好きだった。だけど、今は出来るだけ他人とコミュニケーションを取りたくない。話すと疲れてしまう。自分を取り繕っているような感覚が抜けない。
 話したい!と思って友達に会っても、会話しているうちに、なんだか自分が無理矢理話をしているような気がしてくる。もちろん会話の最中には笑うし、楽しいような気持ちもあるけれど、それは自分の表層を覆っているだけのかたい殻みたいで、だんだんと自分の感情ではないような感覚に陥り、その場は「じゃあね」と笑って帰るのに、家に着くと酷く疲弊している。

 前は、美味しいものを食べると、少しでもハッピーな気持ちになれた。今は、次の食事までの数時間、自分の身体を維持できるなら何でもいいし、なんなら食事すら億劫に思うときもある。植物みたいに葉緑体光合成出来たらいいのに、と。
 どこのお店のなにが食べたい、という気持ちが起こっても、それすら自分の気持ちではないような気がしてしまう。口に出せば出すほど嘘っぽい。だって実際に行くこともないのだから。

 前より、他人に対して苛々することが少なくなってきたことも、良い傾向だと思っていた。
 けれど、違う。単純に、他人に対する興味が失せてしまった。
 別にあなたが辛い目に遭おうと、嫌な気持ちになろうと、死のうと、私には関係ないし、どうでもいい。前はあまり感じることのなかった、そんな感情。どれだけ口で「私は知らないもん、どうでもいい」と言っていても、本当は心配だったり、気に掛けていたのに。
 多分、自分に対する興味、というか、正しい自己愛が育まれる方向に行けば、そういう状態であっても悪くはないのかもしれない。他人の心配より自分の心配をして、自分の軸をしっかり持ってから他人のことを考える、という意味で。
 でも正直、自分にも興味を持てない。何をしたいのか、自分でも全くわからない。自分の欲求がよくわからない。前からよくわからなかったけれど、さらにわからない。


 ひたすら、無。
 より、無。


 なんだこれ。未だかつてない感覚。からだにも頭にも心にも、それに対する違和感だけがある。よくわからない。これは一体なんなのか。これは私の中のどういう反応なのか。これからどういう風に転がっていくのか。
 恐怖も不安もない。かと言って安心感なんて微塵もない。涙も出ない。ネガティヴな感情を素直に受け止めて泣くことが出来れば、浄化される感じがあるのでそうしたいところだけど、ネガティヴな感情も特にない。なりを潜めているだけなのか?

 もしかしたら、消えたい、という私の幼いころからの欲求は、ある意味では、生きたい、と同じくらいに大事なエネルギーだったのかもしれない。もしくは、生きたい、という欲求の裏返しだったのかも。消えたい、という欲求があるときは、創作的なエネルギーにも溢れていたし、消えたい、と思う分、嬉しいことがあったときには、それが本当に大切なことのように思えた。このために、もう少しだけ消えないでみよう、と。
 今はそれがない。なんにもない。晩ごはんを食べていないのだが、空腹も感じない。ただただ、無。

 でも、こうやって書いていても、やっぱりなんかもうどうでもいい。
 以前、ホルモンバランスの乱れが激しすぎて婦人科にかかったときに処方された抗不安薬があって、そのときは精神安定剤に対する恐怖があったので飲まなかったのだけど、さっき取って置いていたのを思い出して、なんとなく試しに服用してみた。
 特に何も変わらない。気分が晴れたりするのかと思ったけど。


 これって何なんだろう。良い反応なのか、悪い反応なのか。
 明日になったらわかるのだろうか。

Jewelって、随分と思い切った名前だな。

 掲題のJewelというのは、私の好きなシンガーソングライターの名前である。
 Jewel……日本語だと「宝石ちゃん」。ものすごい破壊力だが、英語圏だと俗に言うキラキラネーム扱いにはならないのだろうか。まぁ、CrystalちゃんやJadeくんがいることを考えれば、割りと普通なのかもしれない。
 ただひとつ言えるのは、この人の歌唱における表現力は宝石並に貴重で素晴らしいってこと。マジで尊い。
 Jewelのオリジナルアルバムはほぼ持っていて、ひとつひとつのアルバムの中に(個人的には)結構捨て曲(だと感じる曲)もあるのだけど、表現力という点に絞って聴くと、その多様性に驚かされる。と、いうわけで、そんなJewelの曲の中から、私が好きな曲(と、その歌詞の中でも好きな部分)をピックアップして、つらつらと書いていきたい。

※ちなみにところどころで引用する歌詞は、日本版CDに付いてる対訳を参考に、私の貧相な英語力で訳した意訳です。(なぜって、そのまま載せちゃうと著作権に引っ掛かるんじゃないか、ってビビったからです。)日本版が発売されなかったものに関しては、完全にニュアンスで訳しているのであしからず。
 それから、あくまでオリジナルアルバムとして何枚目かを数えているので、クリスマスコンピレーションアルバムとか童謡カバーのアルバムとかは数に入れてないです。ご了承いただきたい。




  • Foolish Games(1st album"Pieces of You"収録)

 この曲はアルバムヴァージョンとシングルヴァージョンがある。個人的には圧倒的にアルバムヴァージョンの方が好き。ちなみにYouTubeで見られるMVはシングルの方です。(このMVに3人の怪しい女が出てくる。なんとなくシェイクスピアの「マクベス」の魔女を想起させられる。)
 しょっぱなから、もの悲しい感じ全開の曲。ピアノの音が寒々としていて、切なさを掻き立てられる。秋から冬への変わり目くらいの温度感。呼吸したとき、鼻の奥が風の冷たさで痛むような。
 内容は、端的に言うと大失恋の歌。だってもうサビの歌詞が、
「こんな馬鹿みたいなゲームが私を引き裂いて
 あなたの心無い言葉に この心は壊れていく
 あなたのせいでボロボロになっていく」

って、一体どれだけ傷つけられてるの。
 しかも、この「あなた」っていうのが厄介なヤツで、雨の中コートを脱いで突っ立ってるわ、髪はボサボサだわ、芸術について語るわ、真面目にお金を稼ぐことの意味を説教してくるわ、なんかよくわからない変なやつである。
 ミステリアスな男に惹かれて、結局ダメになる女。いるいる。よく居る。
 そして、
「ごめんなさい、あなたのこと
 他の誰かと勘違いしていたみたい
 優しい人だと思ってたし
 私とよく似ている人だって思ってたのに」

 うん、そりゃあ往々にしてそうなるわな。当然の帰結。
 でも多分、拗れた恋愛の終わりなんて、大体こんなものかもしれない。相手を好きだったことさえ、「ただの勘違い」だったことにしなければ、つらくて仕方ないのだ。「勘違いしてた私が悪いのよ、馬鹿だったのよ」って、当てつけが半分、相手をこれ以上嫌いになりたくがないための自責が半分。この部分の歌い方が、泣き出しそうになっているのを堪えているようで、すごく胸を打たれる。
 バラードが好きな人には、是非聞いてほしい1曲。


  • Who Will Save Your Soul?(1st album"Pieces of You"収録)

 ファーストアルバムのファーストトラック。でも実は、セカンドアルバムのボーナストラックとして収録された、ライヴヴァージョンの方が好き。ライヴヴァ―ジョンなので、音質ははっきり言ってカスなんだけど、大サビの声の伸びが半端ない。あと、ところどころ声が掠れ気味になるのも、また良い。

 私は小学生の頃から鬼束ちひろの歌が好きで、彼女がJewelに影響されて歌手になったと知ってから、「Jewelの歌を聞いてみたい!」と思っていたんだけど、当時中学生の自分が単独で行動出来る範囲に洋楽のCDを豊富に取り扱っている店がなくて。14歳の誕生日に、友達が偶然中古で見つけてプレゼントしてくれたのがセカンドアルバムだった。
 最初はJewelの歌の良さが全然わからなくて、期待値が上がっていた分ガッカリしたけど、ボーナストラックだけは何故かすごく気に入って、ずっとそればかりリピートしていた記憶がある。

 社会風刺を交えながら自己救済について歌っていて、出だしの
「テレビの中ではあなたのために生きている人たちが
 自分はあなたより優れている と言い放ち
 あなたもそれに賛同する」

という歌詞と、2番のサビ前の、
「私たちは花の数ほど多種多様な神様に祈り
 宗教を友達と呼ぶけど
 魂の救済ばかりに気を取られて
 始めることを忘れている代償を
 神様に請求されるんじゃないかと恐れてる」

という歌詞が好き。

 曲名もそうだし、サビでも繰り返し歌われる、「あなたが自分で救わないなら、一体誰があなたの魂を救ってくれるのよ?」というメッセージ。
 都合の良いときだけ神様にすがったり、悪いことがあればすぐ神様のせいにしたりするもんじゃないよ、と。神様になんとかしてもらおうとするんじゃなくて、自分でも少しはなんとかしようという努力をしろよ、と。初詣にかこつけて友達といろんな神社に受験の合格祈願に行く暇あったら勉強しろよ、と。そういうことですよ。


  • Cleveland(3rd album"This Way"収録)

 この曲の何が良いって、メロディーとか編曲とかはどうでもいいんですよ。もう本当、どうでもいい。(あ、ちなみに曲調としてはカントリーロックポップです。多分。)
 とにかく、ブリッジの部分の歌詞。これに尽きる。

「私からあなたまでは たったの1インチ」

 1インチは2.54センチなので、めっちゃ近い。ほぼほぼ密着してるようなもの。で、この次の歌詞が、

「どんな縮尺の地図を使うかによるけどね」

 これ、もう、やられたー!って思った。近いと思わせて、一気に距離を開かせる、この技巧。とにかく、たった2行のこの歌詞が素敵過ぎる。
 この曲に関して言いたいことは以上です。はい。


  • Stand(4th album"0304"収録)

 前3作がカントリーを基調としたロックやポップスで構成されているのに対して、このアルバムはいきなりダンスミュージックに作風が変わって、賛否両論……というか、どちらかというと否定的な意見が多かったらしい。私は、これはこれで面白いと思うし、このアルバムに収録されている曲の歌詞を上手く表現するには、これが最善だったと思う。
 正直な話、Jewelさんだって、いつも内省的な歌ばかり歌っていたら退屈だと思うんですよ。たまにはセクシーさを全面に押し出した曲だって歌いたいし、難しいことは無しにして単純に「うぇーい!たのしー!」みたいな曲だって歌いたいでしょう。それに、相変わらず社会風刺を織り混ぜた歌詞や内省的な歌詞は健在だし、それをダンスミュージックに乗せるっていうのがまた良いじゃないですか。

 これはまさにそういう曲。
「街角の店に入ると
 万引きしようとしている警官がいて
 拳銃を持った老婆に出会う
 ほら 英雄は逃げ出そうとしている
 見かけどおりのものなんて何にもない つまり
 世の中 汚いものばかりじゃないけど
 綺麗なものばかりでもないってこと」

 本当そうだよねぇ……当たり前のことなのに、こういう真理を人は忘れがち。
 2番の歌詞もなかなか過激。中でも、
「市長は現金を持ち合わせていない
 売春婦と大麻を買うのに使っちゃったんだってさ」

 この部分、よく検閲通ったな、と思う。意外とアメリカはこういうブラックジョークもアリなんだろうか。アメリカよりイギリスの方が恐ろしいほどシニカルなブラックジョークをかますイメージがあるけど。

 あと、好きなのはサビの中の次の歌詞。
「残念だけど 人生がもたらす苦痛は
 誰のせいにも出来ない」

 これは"Who will save your soul?"の内容とも通じてるな、と。自分の人生における苦痛は、他の誰でもない自分が背負うしかない。だけど、必ずしも自分が悪いから酷い目に遭うって訳でもない。だからと言って、それは誰かのせいでもない。誰のせいでもない。誰のせいにも出来ない。
 つらい。本当につらい。でもみんな、そうやって生きていくしかないんだよな、と改めて思い知らされた後でぶつけられる、
「私たち一緒なら 立ち向かっていくことも出来る」
ということば。「ひとりだけど、ひとりじゃないんだよ。」ってことなんだろうなぁ……と、私は解釈している。


 この曲の良さは、ただひたすらにエモーショナルでセンチメンタルでメランコリックでメロウなところ。あと、Jewelの声が可愛い。
 歌詞?正直よくわからないです。歌詞なんかどうでもいいんだよ。考えるな、感じろ。
 ……いや、私は結構、抽象的で隠喩バリバリの歌詞でも違和感なく聞く方ではあるんだけど、これはなんか、失恋の歌ともとれるし、上手くいっていない遠距離恋愛の歌ととれなくもないし……もう、ああだこうだと変に解釈せずに聞いた方がいいのではないかと思う。
「朝になると 思うの
 あなたはどこにいるのかな
 誰と話しているんだろう
 あなたのいる場所では日が昇ったのかな って
 朝になると 恋しくなるの
 私の肌に触れるその手が
 あなたがいないと このベッドは広すぎる
 ねぇ神様 どうしよう?
 私は1000マイルも離れて
 あなたの隣に横たわっている」

 試しに1番だけ歌詞を書いてみたけど、他の人はどう思うんだろうか。気になるところ。


  • Stronger Woman(6th album"Perfectly Clear"収録)

 5枚目のアルバムからゆるやかにカントリー路線へ回帰して、穏やかな曲でまとめられた6枚目のアルバムの、ファーストトラック。女性への純粋な応援歌。
 歌詞ははっきり言って安直。ストレートで、何か特別なことを言っている訳でもなく、良くも悪くもわかりやすい。
 MVの方にも、歌詞の内容がとってもとってもわかりやすく反映されている。各国の各時代の衣装に身を包んだ女性たちが、窮屈なコルセットや顔を隠すベールを脱ぎ捨てていく。Jewel自身も、ドレスにつけられた錠を外し、つけまつげを取って、「自己解放した飾らない私」としてステージの上で歌う。
 普段はストレートな歌詞の歌より、多少難解だったり、やたら内省的だったり、情景が頭に浮かぶようないかにも叙情的な歌詞の曲ばかり好んで聞く私だけど、なぜかこの歌にはものすごく救われた。
 落ち込んで落ち込んで、どうしようもなく消えたくなったとき、このストレートなことばが静かに胸に沁み入って、少しだけ元気を取り戻した。空腹さえ感じられないくらい沈んでいた心が、ゆっくりと浮上していくような。

「他の誰よりも自分を愛していくの
 誰に見えなくたって 私は信じてる
 自分の中の強い女性を
 自分自身の親友になって 最後まで離れない
 もう自分を見失ったりしないわ 二度とね
 だって 私の中には 強い女性がいるから」

 女性という性は、時に足枷となるけれど、それを含めて自分というものを受け入れ、人生を全うしていこう。

 小さい頃、男だったら良かったのに、と何度も思った私には、耳が痛いメッセージ。でも、私が私として生まれ落ちたからには、女性という性も含めて生きていかなきゃいけない。それはある意味とても不幸だけれど、ある意味ではとても幸運なことなのかもしれない、と、今は思う。


  • Ten(7th album"Sweet and Wild"収録)

 このアルバムを買ってすぐ、車で流し聞きをしたとき、ジャケットの裏の曲名を見て「10って、なにが?」と思った記憶がある……。
 恋人(または配偶者)と喧嘩して仲直りする、という内容で、35歳かそこらでこの歌詞を書いて歌えるJewelは、とてもチャーミングな人だなと思った。
 語弊があるかもしれないけれど、決して年齢がどうだこうだと言っている訳じゃない。この歌にはいくら歳を重ねても消えない少女性みたいなものがあって、それを臆面もなく歌ってしまえるのが、本当に可愛いな、と。こういう人を本当に可愛いというのではなかろうか。私にはないね、こういう愛嬌。

「恋愛なんて簡単だ って言ってのける人は
 恋に落ちたことなんてないはず
 それは時に地雷となって
 一歩踏み違えると爆発してしまう
 ちょっとしたひとことや表情が
 隠された導火線に火をつける
 激しく怒っているとき
 自分のしたことに気付くのは難しい
 後悔するってわかっていることを
 やるのは簡単なのにね
 立ち止まって 考えて 離れる前に10数えるの

 1、まだあなたのことを憎んでる
 2、3、まだ離れたいと思っている
 4、ドアを探して
 5、そしたら あなたと目が合って
 6、深呼吸して  7、一歩戻って
 8、9、なんでこの喧嘩を始めたのか分からなくなる
 そして10数え切る前に
 またあなたの腕の中に戻る」

 なんなのこれ。やたら可愛いな。
 しかし何度読んでも自分の中にはない感覚すぎて、どうしようねこれ。
「後悔するってわかっていることをやるのは簡単なのにね」。いやもう、本当それですよ。怒りに任せてひどいことを言っちゃうのなんて日常茶飯事。改めなきゃな、って思う。改めるような相手もいないけれど。

 このあと、
「感謝の気持ちを抱いていないものは
 失くしてしまいやすいの
 だけど あなたと私には
 そんなこと起こってほしくない」

という歌詞の後に、「Better count my blessings」と続くんだけど、ちょっとここの訳し方がイマイチしっくり来ない。ただ、おそらく意味としては、「私があなたのためにしてることに気づいてね。そういうことを見落とさないでね。あなたが私といて楽しいとか安らぐな、って思う気持ちを忘れないでね」ってことなのかな、と。
 夫婦が仲睦まじく過ごす秘訣は、相手を尊重すること、相手に感謝することだとよく言う。Jewelがこの曲を書いたのが、結婚する前なのか後なのかは分からないけれど、結婚後に書いたのだとしたら、この歌は旦那さんへのメッセージなのかもしれない。そう考えれば、ますます可愛いな……
 とりあえず、大切な人や友達と、仲違いしてしまったときには、この歌を思い出そうと思う。




 以上7曲。他にも好きな曲はあるのだけど、スマホで入力することの限界がかなり初期の段階で見えてしまったので、出来るだけ絞った。(フリック入力で長文打つの、想像以上にしんどい……。)しかも、実は友達にちょうどCDを貸している最中だったので、意訳なんかはかなり曖昧なところが多いです。ごめんなさい。
 上に挙げた曲は、全部YouTubeさんで検索すれば聴けるはずなので、もし少しでも興味がわいたら、聴いてみてほしいです。いつか、鬼束ちひろの歌についても書きたいなと思う。好きな曲が多すぎて、腱鞘炎になりそうだけど。

ひとりになりたい。

 ある人との関係を切りたいと、しばらく前から行動しているのだけど、上手くいかない。
 その人のことが大嫌いだとかそういう訳ではないけれど、繋がっている以上、お互いに不利益をもたらすようにしか思えない。泥沼の中で首を絞め合っているような、もの悲しさを感じる。さすがに勝手に切るのは失礼だと思ったので、連絡を取れないようにさせてほしいと、ずっと言っていた。

 だけど、連絡を、関係を絶とうとするのは、私が自分自身に向き合っていないのだと言われた。

 どうしてそんな風に簡単に言うんだろう。

 その人と関わっていると、どんどん自分が化け物みたいになっていくようで嫌だ。ただでさえ不安定でキチガイじみている自分が、さらにおかしくなっていく感覚が怖い。診断された訳じゃないけれど、境界性人格障害者みたいで……そこに片足を突っ込んで抜けなくなっていくようで、自分が気持ち悪くて仕方がない。

 相手のことだって、そんな自分に巻き込みたくなんかない。時々爆発する猛烈な怒りに巻き込みたくなくて、だから離れたくて。
 
 狂った自分でいたくないと思うことの、何が悪いんだろう。冷静な状態でいられないのに、どう向き合えと言うのだろう。落ち着いた状態でゆっくりと、絡まった糸をほどいてやり直したいだけなのに、どうしてそんな風に煽るんだろう。
 どんどん不気味な化け物になっていくのに歯止めを掛けたいだけなのに。


 私は知っている。心を病んだ人間は、世間から気味悪がられて落ちこぼれてしまうことを。化け物のレッテルを貼られ、治ることが出来なければ、死ぬまで、悲しく、寂しく、生きるしかないことを。


 私の母方の祖父は、統合失調症を患っていた。
 母方の家は元は大地主で、祖父は長男としてものすごく厳しく躾られたらしい。周りからの重圧や激しい妬み嫉みに晒されたことで、とうとう精神を病んでしまったという。
 周りには、祖父はあなたのことだけはとても可愛がっていたよ、と言われる。それはなんとなくは分かる。私のためにディズニーアニメのビデオ(当時はまだVHSだった)やキーボードを買ってくれた記憶があるから。
 だけど、幼い私の目から見ても、祖父は異常だった。仏壇には、ラッカースプレーでまだらに色付けされた謎の石が置かれていたり、骨董品らしきものにも、ペンキのようなものでやたらと色が塗られていた。買い物依存症だったのだろう。訳の分からない色んなもので、祖父の部屋はいっぱいだった。
 可愛がってくれていたのかもしれない。けれど私の記憶の中で一番印象が強いのは、激しく怒鳴って暴れている姿だ。

 怖かった。とてもとても怖くて、私は毛布を被って泣きながら震えていた。

 小学生のときには、あまり会わなかった。ただ、周りの大人たちの行動を見て、話すことを聞いていて、私は物事がどういう風に進んでいるのか、なんとなくわかっていた。
 祖父は精神病棟に入院させられた。
 そして精神病棟は、異常者の巣窟なんだ、と。
 それだけは、小学生の私にもわかった。


 化け物扱いされて、祖父は閉鎖病棟で晩年を過ごした。最期は、病院で出されたお菓子を喉に詰まらせて死んだ。私が中学生のときだった。


 死ぬ前に一度、祖父に会ったことがある。精神病棟の面会室で、母と父と一緒に待っていると、閉鎖病棟の防火扉みたいな大きな戸が開いて、看護師さんと祖父が出てきた。
 最後に見たときより祖父は痩せていて、あまり生気が感じられなかった。それでも、私を見る目は優しくて、表情はどこか嬉しそうに見えた。
 私はなにも言えなかった。ただただ泣けてきて、まともに会話が出来なかった。


 怖くてもおかしくても、私は祖父のことが好きで、だけど彼は世間からすればただの化け物なんだ。
 その事実が、ひたすら悲しかった。
 面会を終えて閉鎖病棟へ戻って行く祖父の背中は、とても寂しそうに見えた。


 祖父は、死後、解剖の検体として大学病院に遺体を提供するという会に入っていたので、葬式はあげられなかった。解剖後、処理を施して遺体を火葬してくれる(確かそうだったと思う。中学生だったのでよく覚えていないけど。)のだが、その前に家族で大学病院に行き、遺体に向かって手を合わせた。
 棺桶の中の祖父は、それまで私が見た中で一番穏やかな顔をしていた。
 精神を病んで、ずっと苦しかったのが、死してやっと、楽になったのかもしれない。そう思った。


 狂うというのは、怖い。怖くて、悲しい。
 私はそこに落ちかけているような気がしてならない。誰も巻き込みたくない。化け物になりたくない。
 祖父だって、きっと怖かったはずだ。化け物になんて、なりたくてなった訳じゃない。

 分かってほしい。別にそれ以外のことは、どうだっていいから、私をひとりにしてほしい。




 そう思ってしまうのは、向き合っていない、ということになるのだろうか。

守る、守られるということについてのおはなし。

 私にとって大切な人の中に、ある男友達がいる。

 男性であるということも含め、実は結構クズな部分もあることを知った上で、大切だし大好きな友達である。相手がどう思っているかは分からない。本当は、友達だなんて微塵も思っていないかもしれないし、そうだとすれば、こっちが一方的に「大切な友達」だと思っているのも、迷惑かもしれない。
 それでも、自分はなるべく彼の味方でありたいし、なにより、守りたいと思う。

 「守る」というのは、とても抽象的だ。違う言い方をすれば「精神的に支えたい」なのかもしれない。彼が助けを求めたときに、もし自分が力になれるなら、自分が何かすることで彼の救いになるなら、それに応えたいと思っている。
 相手が男友達でなくても、恋人や夫に対してそういう気持ちを抱く女性はいると思うのだけど、今日なんとなく「守りたい男性」というワードでググったら、検索結果として出てきたのは、


「男性が思わず守りたくなる女性」
「男性に、守ってあげたい、と思わせるテクニック」


 こんな感じの内容のコラムがズラーッと並んだ。ちなみに、「守りたくなる男性」でも結果は同じだった。


 どうして、絶対的に「守る側=男性」「守られる側=女性」という構図なんだろう。男性は守られるはずがないほど強いのだろうか。女性は常に守られていないといけないほど弱いのだろうか。
 男性は強くなければいけないのか。女性は男性より弱くなければいけないのか。

 この構図、私の中では、男性が女性より優位に立つために作られた構図のように見えて、むしろ、男性が自分の首をぎゅうぎゅうに絞める構図だな、と思う。

 男性だって、ふと甘えたいとか守って欲しいと思うことくらいあるだろうに、この構図がとてもナチュラルにスタンダードとして染み付いている人は、女性に対して弱いところを見せまいと強がって平気な振りをして、いつのまにかそのストレスが積み重なって疲れ切ってしまうだろう。
 あるいは、素直に守ってほしい欲求を表現出来ないがために、女性との距離が出来てしまって、関係が上手くいかなくなったりもするんじゃないか。
 しかも、相手の女性の中に「守る側=男性、守られる側=女性」の構図が染み付いている場合、仮に男性が素直に守ってほしいと表現出来ても、「男のくせに弱い、女々しい」「私の方が守って欲しいのに……」という否定的な感情が生まれてしまう。特に10代から20代前半の女性の中には、こういう考えの人が一定数いる気がする。


 なんだか切ない。「精神的に支える」ということには性差なんてないはずなのに。「守る」ということばに置き換えた瞬間、どうしてこんなに優しくない意味を持ってしまうんだろう。本来はとてもあたたかいことばのはずなのに。
 たまに気持ちが弱ってしまうからって、守ってほしくなるからって、それが「弱い人間」であるということには決して直結しないのに。


 冒頭の男友達も、どちらかと言えば強がる傾向が濃い。強くあろうとするところは素敵だけど、自分の中の「悲しい構図」を崩せれば、更に強くて素敵になる気がする。
 彼だけじゃなくて、世の中の強がりな男性も。そしてもちろん、女性も。
 私自身も、「守る、守られる」ということに限らず、自分の中に定着してしまった「悲しい構図」を、崩していければいいな、と思う。

眠りたいのに眠れない夜の雑記。

 いつからだろう。最近ずっと眠れない。
 いや、「眠れない」というのとはニュアンスが少し違うかもしれない。ただ、質の良い睡眠がとれていないのは確かである。なかなか寝つけなかったり、せっかく入眠しても、眠りが浅くて夜中に何度も目が醒めたり。


 ぐっすり眠りたい。割りと切実に。


 思い返すと、ここしばらく自分が不安定であることに気づいて、まあ、私が安定していたことなど四半世紀を超える人生に於いてただの一度もあった試しはないのだけど、近頃の情緒の不安定さにはこう、なんというか筆舌尽くし難いものがあり、「眠れない原因はこの不安定さなのか」と。
 じゃあ「不安定さ」は何処から来るのか、どうすれば「安定」するのか、なんて考えた日にはますます眠りが遠退く訳で、だけれども長い年月を掛けて自分の中に確実に根を張った、この「不安定さ」ないし「歪み」「アンバランスさ」をなんとか消化しないと、安らかな眠りなんて訪れないんだろう。

 本当は、もう余計なことなんて考えずに、瞼を閉じて無理矢理にでも眠ろうとする方がいいのかもしれない。実際そうやってやり過ごしてきた夜なんて、手足の指を総動員しても数え切れないくらいあったし、それでなんとかなってきた。

 それでなんとかなってきた。
 今までは。

 もう、なんとかならない、どうしようもならないところに来てしまった。
 そうやって気付かない振りをしたり、押し込めて隠してしまったり、放置してきたことのツケが、この歳になって一気にからだとこころにのし掛かってきている。正直なところ、すごく苦しい。

 もうね、会社のトイレで隠れて泣いたりとか、家でごはん食べながら泣いたりとか、車を運転しながら泣いたりとか、お米研ぎながら泣いたりとか、シャワー浴びながら泣いたりとか、したくないんですよ。疲れるし。頭痛くなるし。顔、めっちゃ浮腫むし。泣きたくないのに泣けてきて、「あれ、なんで自分、泣いてるんだろう」みたいな。
 なんで泣いているのか自分でも分からない。自分のことが分からない。自分で自分が不気味で仕方ない。自分が気持ち悪い。その状態が、つらい。

 そして、最早ツケに知らん顔している場合じゃない、と思い至った。「自分、メンヘラなんで」とか言ってたけど、このままじゃとても正しい意味で精神を病んでしまう。というか、もう病んでしまっているかもしれない。なんとかしなきゃいけない。
 自分のツケは自分で払わなきゃいけない。私が感じてきた苦しみも悲しみも不安も恐怖も、私しか感じられないモノだったし、私の中で増幅されたモノだし、誰も肩代わりなんてしてくれないんだから。誰も助けてなんてくれない。


 と、いう訳で、セルフカウンセリングの一環として、ブログを書くことにした。いやいや、んなもん日記帳に書けよ、と思われるかもしれないが、自分の場合、元々他人に対して「素直」に表現することが死ぬほど苦手なので、あえて人目に触れるところで吐き出していこうという目論み。
 日記帳、実は少しばかりやってみたことはやってみたけれど、書いて数日後に見返してみると、なんとも恐ろしいことに、自分以外誰も見ていないにも関わらず「嘘」を書いていた。「嘘」と言うのは大袈裟だけど、自分でそう思えないのに、力ずくで思い込ませようとしている、というか。それに気付いたとき、なんだかもう愕然としてしまって情けなくて。
 他人にあまり優しく出来ないタチの人間だと自認していたけれど、自分に対しても優しく出来ないなんて。妙に甘やかすことは出来る癖に。甘やかすのは優しいのとは違う。自分をスポイルさせているだけだ。それに、納得出来ない自己暗示なんて、己に対する暴力と同じじゃないだろうか。
 そういう部分も、あえて人目に触れるところで文章を書くことで、意識的に変えていきたいと思う。

 これからネガティヴなこともどんどん書いていく。それだけではなんだか寂しいので、自分が好きなものや好きなことについてもいっぱい書いていく。自分の考えていることや感じていることも、「素直」に表現出来るようになりたい。

 もう4時だ。あと数時間もすれば、仕事が始まる。金曜日を越えれば休日。がんばろう。