浮かび上がる、沈み込む。

人生的にも感情的にも浮き沈みが激しいです。どちらかというと、溺れてると言った方が正しい。

ロールシャッハテストを受けた話。

 昨日、病院のカウンセリングでロールシャッハテストを受けた。

 実は最近、あまりにも希死念慮が強くなって元日に自殺するという計画を立てていたので本当は病院にも行きたくなかったのだけれど、重いからだを引きずってなんとか行ったら少し自殺願望が落ち着いたのと、勝手に湧いてくる感情や思考を一旦ストップさせる方法を教えてもらえたので結果オーライだったかもなと思う。

 話は戻ってロールシャッハテストの件。
 昨日が初めてのカウンセリングで、前回病院に行った時に別の性格検査を受けたけれど、他にも受けてみませんか?と言われたので、言われるがまま受けることにした。

 心理検査室に入るとA4サイズくらい?のカードが何枚か伏せられていて、「これから10枚の絵を見てもらうんだけど、やったことある?」と聞かれた。
「やったことはないですけど、もしかしてロールシャッハテストですか?」と答えたら、「その通りです。もしかしたらネットとかで見たことがあるかもしれないけど、1枚ずつ絵を見て、何に見えるか自由に答えてください。10枚全て答え終わったら、今度はどうしてそう見えたのかまた1枚目から順番に説明してください。最後に、一番好きな絵と一番嫌いな絵、自分に似ていると思うカードを1枚ずつ選んでください」と言われた。

 自由に、と言われてもただのインクのシミだしな、という気持ちもあったけれど、連想ゲームのように創造的な遊びが好きなので、あまり苦ではなかった。

 ロールシャッハテストの図版を載せてどのカードが何に見えた、というのは、テストを受けたことのない、これから受けるかもしれない人たちのことを考慮して書けないけれど、図版なしで何に見えたのかだけ短めに編集して記載していく。

『足が固定されて動けない、翼の生えた2頭のペガサス』
『一心同体なはずなのに、喧嘩して傷つけ合っている2人のヒト』
『泣きながら笑っているピエロ』
『虚勢を張っているひとりぼっちの怪獣』
『上翅をもがれ無理矢理飛んでいる蝶々、あるいは腕を広げてずっと何かを待ち続けているヒト』
『向かい合ってケタケタ楽しそうに笑っている2羽のうさぎ』
『崖の上で磔にされているヒト』
『子宮、冷たい場所と熱い場所がある』
『愛の上で燃える悲しみ、悲しみが転化して怒りが噴き出している』
『色んな人が手を繋いで共存している』

 一番好きなカードには『共存』のカード、嫌いなカードには『子宮』のカードを選んだ。自分に似ていると思うカードはひとつに絞れなかったので、『崖の上で磔』のカードと『愛、悲しみ、怒り』のカードを選んだ。
 結果は約1ヶ月後、次のカウンセリングの時に教えてもらうことになった。
「疲れてませんか?大丈夫?」と聞かれて、「連想ゲームとか好きなので、そんなに疲れていません、大丈夫です」と答えたけれど、家に帰ったらめちゃくちゃぐったりしていて、ベッドにぱたっと倒れて眠ってしまった。自分が思っていたよりからだと頭は疲れていたのかもしれないな、と思った。

 次の通院まで日数がだいぶ開いてしまうのが不安だけれど、なんとか耐えてテストの結果を聞いたら、少しだけ自分のことがわかるようになるかもしれない。そしたら、もしかしたら、少しだけ楽になるかもしれない。

 本当に少しだけでも、楽になったらいいな。

養父の実家に行きたくない。

 先日養父から連絡があり、「年末こちらに来るんだろう?」と聞かれて「うん」と答えてしまったけれども正直行きたくない。

 

 精神状態と体の不調で最近は仕事を休みがちだ。遅刻して行ったり午前だけ有休とったり、たまに丸一日休むこともある。そんな中、残り少なくなってしまった有休と組み合わせて、年末年始はなんとか30日から2日まで休みを取った。4日も休めるのなら、家でじっとしていたい。友達から食事に誘われたら頑張って出掛けるけれど、そうでないならちょこちょこ家事をしつつゆっくりと休みたい。もしかしたら、いつもの休日と同じように、ベッドから動けないまま夕方になるのを繰り返すだけの4日間になるかもしれない。それならそれで仕方ないから、ずっと眠っていたい。いつも睡眠導入剤がないと上手く寝付けないし寝ても寝ても全然疲れが取れないのだから。

 

 何故わざわざ心穏やかに休めない場所へ行かなければならないのだろう。症状が悪化しそうで行きたくない。「来て当たり前」のような雰囲気を醸し出されるのも嫌だ。妹がデキ婚したことすら2週間以上経ってから事後報告してきた癖に、「家族だから」みたいなオーラを滲ませてくるのも苛々する。勝手に家族ごっこしてろよ。私を巻き込まないでほしい。

 

 養父と表記しているのは、私の本当の父親ではないからだ。血が繋がっていない。生物学上の父親は何処にいるかもわからないし、名前も顔も知らない。当時18歳だった私の母親を孕ませるだけ孕ませて何の責任も取らなかった屑野郎だということしか知らない。養父は戸籍上では確かに「父」だし、幼い頃から、私が勝手に一人暮らしを始めるまでの間、本当の娘でないにも関わらず養ってくれたことには感謝しているけれど、養父によって私が辛い思いをしてきたことも、疎外感や孤独感を抱えて来たことも事実だ。

 私が一人暮らしをする前まで住んでいた場所から、私以外の養父、弟、妹は養父の実家へ引っ越して、その際に私の本籍も自動的に養父の実家に移されていたけれど、本当は除籍して私単独の籍にしたい。出来ることなら母親の旧姓を名乗りたい。相続に関しても私は放棄するから、その代わりに養父の家関係のことは全部弟にやってほしい。子供みたいなことを言っているのはわかっているけれど、6歳から25歳で家を出るまでの19年間、長い長い茶番でしかない「家族ごっこ」をやらされているような息苦しさで一杯だった。母親を亡くした19歳からの6年間は、特に。そこからもう解放されたい。お米をもらったりしていたけれど、もう、それもしてくれなくていいから。

 

 最近また病院に行き始めて、抗鬱剤は処方されずに不眠治療の為に睡眠導入剤を服薬しているのだが、次の通院からカウンセリングを受けることになった。私は猜疑心が強いから、臨床心理士の方と上手くやれるのかも不安だし、ちょうど連休初日に受診することになったので、もしかしたらカウンセリング時の状況次第では4日間ずっとベッドの中で廃人になるかもしれない。不安で、怖くて仕方ない。

 養父の実家に行って、さらに状態が悪化するのが怖い。でも「やっぱり行かない」と連絡するのも怒られそうで怖い。ドタキャンしたら、それこそ機嫌を損ねるだろうし、もう八方塞がりだ。

 

 もう、霞みたいにスッと消えることが出来たらいいのに。

後追いだけは、しない。そして、後追いだけは、やめよう?

私の好きな歌手が死んだ。それも自殺で。

 

SHINeeという韓国のアイドルグループのメインボーカル、ジョンヒョン。

まだ27歳。私より1つ歳下だ。

まだ27歳。

 

本当に歌が上手くて、才能溢れる人だった。こんなこと、一般人が言うのなんておこがましいのは重々承知しているけれど、元々どちらかというと嫌韓気味の人間(=私のことだけど)の心を、歌の才能や実力、たゆまぬ努力で動かしたのだからやはりそう言わざるを得ない。

そんな才能ある人が、死んでしまった。

 

公開された遺書があちこちで翻訳されていて、それを読んだとき、私は驚いた。

生まれも育ちも今置かれている境遇も全く違うのに、考えていることや感じていることが気分障害を抱えている自分とかなり似ていること。そしてどうやらジョンヒョンも精神的な障害を抱えていて治療していたこと。

感受性の強そうな人だなぁと以前から感じていたし、方々でそういう噂や言動は見られていたけれど、自分が彼の書く少し「病み」を感じる歌詞に共感する理由がやっとわかった。

やはり心を病むとある程度似たような感じ方や考え方になるらしい。

 

正直、亡くなってしまったというニュースを聞いたときも泣いたし、遺書を読んだときも泣いたし、今でも遺書に書かれていた気持ちが自分の内側で共鳴して涙が止まらない。

 

でも、共鳴するからこそ思うのは、後追いだけはしてはいけないということ。

 

本当は後追いについてすごく考えた。けれど、自分が自殺したとき誰かに後追いをされたら、と考えたらひどくゾッとした。

どうしようもなく行き詰まって苦しくてつらくて逃げ場がなくて、何度も何度も色々考えて、でもやっぱりもう無理だ、って、疲れた、って、生きててごめんなさい死ぬのもごめんなさい、でもどうか許して、って思いながら死を決断したのに、自分が死んだせいで他人が死ぬなんて申し訳なさすぎる。それに他人の死を自分のせいにされているようで、責められているようで、それが恐怖だし、つらい。

だって、死んでもなお、「あいつが死んだから、あいつが死んだせいで、他の大勢の人が後を追って亡くなった」と、大衆から、後追いした方の遺族や友人から、怒りの矛先を向けられ謗りを受けなければならないのだから。

 

死んでもなお、誰にも届かない謝罪をし続けなければならない、許してもらえない、地獄。

 

私はジョンヒョンをそんな目に合わせたくない。彼を「死ぬ理由」にしたくない。彼の苦しみに(おこがましくも)共鳴するからこそ、彼の背負った苦しみは誰も肩代わり出来ないこと、彼だけの、彼だけにしか味わえなかったつらさがあるということも弁えている。共鳴はしても、どうして、何が、彼をそんなに追い詰めたのかなんて誰にもわからないんだ。それはどんなに近しい友人だって、SHINeeのメンバーだって、家族だって、決して本当の意味では理解できない。

 

ジョンヒョンが死んで悲しいのもつらいのもわかる。これを書きながら今だって涙が止まらない。お前なんてニワカだろ、と言うコアなファンの方もいらっしゃるだろうけど、人の死を悼む気持ちを比べるのなんてナンセンスだし、私は自分の死の理由に「SHINeeジョンヒョンの死」を選びたくない。そんなの本当のファンじゃない!っておっしゃる方はそう思ってくれてていい。でも、じゃあ本当のファンって何でしょう?亡くなった人が、死後いろんな人から憎まれたり謗られたりする原因を作るのが本当のファンなのでしょうか?

それに、彼の死を理由にして自殺する人が続出したら他のメンバーはもっとつらくならないだろうか?そしてまた他のメンバーまで死んでしまったら?誰がその責任を負うのだろう?苦しみから死を選んだ人間に、拒否も否定も弁解も出来ない人間に責任を押し付けるのか。

 

何故こんなことを書いたのかというと、いつもチェックしているSHINeeについて書かれているブログを先程見たときに、後追いをするような雰囲気を醸し出した記事が上がっていたからだ。顔も本名も知らない人だけれど、まさか、と思って胸が痛くなった。

いつもその人がブログをアップするのを楽しみにしていた。自分は気分障害を抱えている関係でひどく無気力になって何も出来なくなってしまうときがあって、その方のように定期的にブログを更新することが出来ないので、それを継続できるバイタリティを羨ましいと思うと同時に尊敬していたし、「好きなものは好き!」と惜しげもなく熱く語れるところにとても好感を持っていたから。

 

だからどうか、後追いだけは思いとどまってくれないだろうかと願うばかりです。

何かのご縁で、このブログがその方の目にとまりますように。

自称メンヘラが本当に病んで通院する羽目になった話、その①

 今年の3月、知り合いが主催している写真展に行ったとき、強烈なショックを受けた。

 

 自分がモデルになって撮ってもらった写真が出展されていた。かっこよく綺麗に撮ってもらった写真で、個人的には気に入っている作品。けれど展示室でその写真を見たとき、自分以外の女性のポートレートも何点か並んでいる中で、写された自分の姿がとても異質で不気味なものに見えた。

 他人を威嚇している狂暴で獰猛な、そしてひどく怯えた、弱くて情けない不恰好な化け物。化け物の眼は何かを睨んでいながら、何も見ていないように虚ろだった。虚ろに真っ直ぐ、こっちを見ていた。

 そのとき、これが自分の正体だと思った。そしてその正体が暴かれてしまった、晒されてしまったと感じた。

 ショックだった。自我ががらがらと崩れていく音が、体の内側から聞こえてくるような気がした。

 それからというもの、夜になると言い様のない不安や絶望感に襲われるようになり、元々不眠症気味で眠りが浅いのに拍車が掛かってしまった。

 電気を消した部屋の中、ベッドに入って目をつぶってもちっとも眠れない。朝の5時や6時頃まで眠れないこともざらにあって、3時頃に寝つければ良い方。それでも目覚ましのアラームが鳴る前に2回ほど目が醒める。せっかく早く寝付けたときでも、やはり眠りが浅いのか夢ばかり見て、日が昇るまでに何度も目が醒めた。7時に起きると全然疲れが取れていなくて体も頭もぐったりとしている。

 仕事をしていても、自分が何をしているのか何をしなければいけないのか分からなくなった。不意に何かが込み上げてきて頭がくらくらしてはトイレに隠れて泣いていた。
 バレないように取り繕えば取り繕うほどに、自分の中がぐちゃぐちゃに掻き回されてバラバラに分裂していくような感覚に襲われた。
 乾いた砂粒が肌の上をさらさらと流れて落ちていくように、他人の言葉が何も入ってこない。何も。

 仕事を終えてアパートに帰り、独りになると猛烈に不安になり怖くてたまらなくなって泣いていた。だから独りにならないように出掛けたりもしたけれど、知り合いの店で談笑して楽しく過ごしても、帰宅するとそれまでのことは全て幻だったかのように現実感がなくなる。まるでテレビで流れる映像をただ見ていただけみたいに、他人事のように感じた。

 自分の存在が疎ましい、消えてしまいたい、死にたいという気持ちが自然と浮かび上がり、毎晩眠れずにいる頭の中を埋め尽くす。呼吸するのすら苦しくて仕方がなかった。
 涙が止まらなくて嗚咽が漏れて、それすら悲劇のヒロインぶっているだけのような気がして、自分が気持ち悪くなる。その繰り返し。

 

 助けて欲しい。
 けれど、誰に助けを求めたらいいのか分からない。伸ばした手を振り払われたら、と思うと怖かった。
 自分でなんとかしなきゃ、自分ひとりの力で乗り越えなきゃ、と考えても考えても、不安や絶望感以外のものが浮かんでこなくて、どうしたら良いのかも分からず八方塞がりだった。

 

 もう、ダメだ。

 

 ここから先はどうなるか、私は知っていた。幻覚や幻聴が聞こえ始める。あるいは無気力になって全く動けなくなる。あるいは昼夜を問わず騒ぐようになる。自傷行為をするようになる。もしくは他人を攻撃して暴れ回る。
 そうなるのは、絶対に避けたい。
 私は30年近くもの間、正気と狂気のはざまをぐらつきながら、狂気の方へ偏り気味のバランスをなんとか保って生きてきた。その自覚ががあったからこそ、狂気に振り切れるのだけは避けたかった。

 

 そして精神科を受診した。
 毎晩泣くようになってから、既に3~4ヶ月もの時間が経過していた。

あまのじゃくやツンデレが許されるのは二次元だけ。

 自分で苦手だとわかっているのに、なぜかその苦手なものに突っ込んでいきたくなるときはないだろうか?

 何を言っているんだこいつは、という感想はごもっともだが、なにせ私は分裂している人間なのでそんなことがしょっちゅうなのである。

 

 例えば、私はビールが苦手で自ら進んで飲むことはないのだが、時々なぜだか無性にビールが美味しそうに見えるときがある。バーで、グラスに注がれたビールを見たときとかね。

 琥珀色の液体の上にふわふわもくもくとした泡がこんもりとなっているのはなんとも言えず美しくて、「あ、これめちゃくちゃ美味しいんじゃないか」と思ってしまう。脳内で変な神経伝達物質が放出されているのではないかと疑ってしまうくらい、ビールを飲んでみたくなる。

 それから、抹茶味のお菓子があまり好きじゃないのに、半年に1~2回くらいの頻度で衝動的に抹茶味のアイスクリームを買ってしまう。これもビールと同じで、無性に美味しそうに見えて食べたくなってしまうのだ。
(ちなみに抹茶味のアイスは昨日買った。)

 

 そして口にして、思う。

「うん、もう、しばらくはいいかな(^U^;)」

 割りとまじで(^U^;)←こんな顔と気持ちになる。

 

「苦……思ったより美味しくなかったわ……というか、そうだったそうだった。これってこんな味だったわ。私、これあんまり好きじゃなかったわ。うん」となる。なるけれども、残すのはポリシーに反するので一応飲み干すし食べ切る。そして、しばらく全く手を出さない。

 

 私はこれを、人間に対してもやってしまう癖がある。

 あまり好きではない人、どちらかというと苦手な人、嫌いな部分がある人、だいぶ嫌いな人、そういう類いの人に対して。

 プロセスはビールや抹茶味スイーツと同じで、なんとなく会ってみたくなったり話してみたくなる。→実際に会う、話す、LINEで絡む。→あ、そうだったそうだった私はこいつが苦手だった。→(^U^;)こんな顔して若干げんなりする。→うん、もう、しばらくはいいかな。→しばらく関わらない。

 そして困ったことに「苦手な人に敢えて関わる」の逆もやってしまう。

「好きな人を敢えて避ける」

「好きな人との距離が開いてしまう行動を敢えてとる」

 

 (^U^;)…………。

 

 たぶん相手も困惑しているだろう。困惑させただろう。何がしたいんだこいつは?と。(^U^;)←こんな顔どころか、(-_-#)←こんな顔にさせてたと思う。

 いや本当に何がしたいんだろうね?私も分かんないや。分からないんですよ冗談でもなんでもなく。

 自分の言動について分析して、原因を突き止めて、なんとか止めたいと思うのだけれど、これについてだけはどれだけ分析しても未だに原因がわからないし、対処法も全くもって見当がつかない。

 あまのじゃくやツンデレ、なんて可愛いものじゃない。それが許されるのは二次元の中だけで、三次元でやったら大惨事だ。大怪我だ。ビールや抹茶で(^U^;)←こんな顔してるだけならまだいい。

 なぜこんなにも素直になれないのだろう。
 他人にも自分にも。
 好きでもないものに突っ込んでいくのも、好きなものを遠ざけてしまうのも、もう嫌だ。

 

 素直になりたい。
 だから今年の目標は「素直になる」にした。
 けれど2017年が半年過ぎた今、目標の進捗率は0%だ。これが現実。

 

 素直になりたい。
 誰か、素直になる方法を教えてくれないだろうか。

撚るのも結ぶのも下手なのに、切ることだけ上手くなっていく。


 最近耳にして衝撃的だったひとこと。


 「何があっても切りたくない縁もあるし、切れない縁もあると思う」

 これを聞いたとき、愕然とした。私の中にそんな考えは微塵もなかった。

 

 私は基本的に他人との関係を安定的に保つことが出来ない。保つ術を知らない、と言った方が正しいか。

 そして、最終的にその関係が切れるとしても「どうせそんなもんでしょ」と思っている。だから、小学生の頃からの幼なじみ、なんてのもいない。

 

 家族でさえ、血の繋がった者でさえ、簡単に裏切る。況んや、他人をや。

 

 今どんなに仲良くしている人だって、5年後、いや1年後、もっと言えば明日、どうなるかもわからない。それは相手だってそうだし、自分だってそうだ。いつ何をきっかけに嫌われるか、裏切られるか。相手のことを嫌いになるか、裏切るかもわからない。

 人を信じるとか信じてもらうとか、よくわからない。それがなにかとても綺麗なもののようには思うけれど、私にはまるで現実味がない。おとぎ話か週刊少年ジャンプの漫画の中だけの話じゃないのか。

 

 人が、憎み合ったり騙し合ったり罵り合ったり、蔑み合ったりするのばかり見てきた。そういう状況にさらされてきた。

 その分美しい関係や優しい関係に人一倍憧れが強くて理想が高くて、些細なことですぐに傷ついて失望してしまう。悲しい関係や荒れた関係になりそうな片鱗を見ただけで、それを修復する気力も湧かずに、ぷつりと断ってしまう。だから、いつ切れても傷つかない程度の関係しか結べない。

 他の人が、互いの糸でミサンガを編んだり布を織り成したりしている間、私はガタガタの糸車で細くなったり太くなったりしている無様な糸を撚ることしかできない。僅かな力で千切れてしまいそうな糸を撚ることしかできない。

 

 こんなことを書いたら、私のことを友達だと思ってくれている人や目をかけてくれている人には失礼かもしれない。ショックを与えるかもしれない。そんなふうに思っていたのか、自分はこの子にとってその程度の存在なのか、と。

 

 でもごめんなさい。私は自分が傷つかないように、自分の心を守るだけで精一杯です。他人を慮るだけの余裕も優しさもありません。

 他人を、傷つけてこない、悪意のない、安心できる存在だと認識することが出来ません。優しくされても、なにか見返りを求められているようにしか思えず、それに応えられないと役立たずと見なされるのではないかと気が気でなりません。

 言い方がきつくてエグいとか毒舌が過ぎて切れ味がスゴイとか言われるけれど、それは上手に他人の悪意をかわす術を知らないし、自分の心を守る盾がなくて、絶えず攻撃することでしか自分を守れないからだと最近気がつきました。嫌な気持ちになったり傷ついたりしたとき、そうするのを止められない、「攻撃は最大の防御」を地で行く破滅型の欠陥人間です。ただのクズだよほんと。

 

 かつては。
 素直に、飾らず、甘え合ったり助け合ったり出来る関係を、一緒に居て少しでも安らげる関係を、誰かと築けたらいいなと思っていた。
 けれど私みたいな人間には高望みすぎる。人が怖くて、傷つくのが怖くて、自分を守るために威嚇するしか能のない、汚い野良猫みたいな私には。

 

 

 切りたくない縁。切れない縁。
 それを実感出来る日なんて、結べるときなんて、来るのだろうか。

感情を抑圧すると、分裂しちゃうよ。


 自分の中に複数の自分がいるように感じたことはあるだろうか。


 少なくとも、人はTPOを弁えて本音と建前を使い分け、いくつかの仮面を被るものである。
 しかし仮面を使い分けている(=演じている)感覚はあっても、その仮面ひとつひとつが自分と切り離された存在だと感じることはあまりないだろう。一般的な人の感覚ではきっと、「自分」という本体が居て、仮面だけをとっかえひっかえしているのだと思う。もちろん、私もそういうふうにするときだって、感じるときだってある。
 だけど、仮面の使い分けのようにコントロールすることのできない「自分」が、私の中には居る。それも複数。
 決して解離性同一性障害(多重人格)ではない。あんな風に記憶がなくなったりはしない。ただ、自分の中に何匹もの化け物がいるような感覚がある。中二病的な話ではない。上手く説明出来ないのだけど。


 例えば。
 恋人が隣にいて、触れたい、とか、甘えたい、とか思ったとする。その一方で、甘えたい欲求を持っている自分をみっともない、とか、気持ち悪い、とか思う自分がいる。甘えることとわがままを言うことの区別がつかないから、甘えることが悪いことのように思えてしまう。結果、触れることも甘えることもかなわない。
 そういうときに相手から触れられたり甘えられたりすると、「向こうが甘えてきてこっちはそれに応えてるんだから、その対価としてこっちも甘えて大丈夫だ」と安心して、少し甘えられるようになるときもある。

  厄介なのは、そこに怒りが生まれてしまうとき。

 甘えたくても、そんな欲求がわいてくる自分が気持ち悪くて抑えていると、甘えてくる相手まで気持ち悪くなってきてしまう。
 なんなんだお前は、と。
 私は抑えてるのになんでお前は我慢しないんだ、ふざけるな、と。
 そういう感情や思考すべてが、自分のもののようでいて自分のものでないように感じる。自分ではコントロールできない、化け物のような。


 自分の本当の感情は、思考は、一体どれなのか自分でもさっぱり分からない。分からないから、ひどく混乱する。
 相反・対立し合う感情や思考が常に自分の中にあって、それらがいがみあって批判し合って喧嘩している状態。そしてその喧嘩をやめさせることは出来ないし、混乱が激化すると尋常でない量の得体の知れないエネルギーが充満してきて膨脹して、頭も心もからだも、内側から破裂してぐちゃぐちゃに裂けてしまいそうな感覚に陥る。
 これ、ものすごく、しんどい。
 上に挙げた例ならまだいい。まぁ、こういうことが色々と積もり積もって、大体私の恋愛は上手くいかない。でも、それなら恋愛からリタイアしてしまえばいい。誰も好きにならないように、好きになっても付き合いたいとか思わないように心に鍵を掛けて、恋愛感情など無かったことにして戦線離脱してしまえばいい。


 だけど、もっと普遍的なことだとそうはいかない。

 例えば。

 人に会いたいな、と思う。誰かと話したいな、と思う。その一方で、とにかく人と関わりたくないと思う。誰とも口を聞きたくない、誰の顔も見たくない、と。

 例えば。

 明日これがあるから今日これやらなきゃ、と思う。どこそこに行きたいな、と思う。休日にこれやりたいな、あれ出来たらいいな、と思う。その一方で、明日目覚めなければいいのに、と思う。朝目覚めると、なんで生きてるんだ消えれば良かったのに、と思う。自分が存在していることにイライラする。死ねばいいのに。
 また一方では、そういうネガティヴなことを考えている自分が気持ち悪いし、嫌い。「お前のそういうマイナス思考が嫌いだ」と言われたことがあるけど、分かる。うん、私も嫌い。だけどどうしていいのかわからない。

 そして、そういう全ての感情と思考を内包してぐぢゃぐぢゃになっている自分を、許して欲しい。誰も許してなんてくれないけど。私だって許してないし。

 

 こんな感じで内面がカオスな為、私はいつもしんどくて、いつも疲れている。自分ではない複数の自分の、延々と続く戦い。

 

 自己が自意識を持ってなお、分裂してしまった原因は明らかで、私は生来的に感情の起伏が激しいのに、幼いときからそれを抑圧しなければいけない環境にあったからだ。
 激しいものを無理矢理押さえつければ壊れるに決まっている。時速20キロで走っている車より時速100キロで走っている車が壁に衝突した方が、被害が甚大になるのと一緒で。


 でも、それをなんとかしたくて色々調べた。
 自分の資質と過去の影響でこうなってしまったけれども、これからなんとか変えられないかと思ったし変わりたいと思ったから。

 そして調べて出てきた解決策は大方、
「信頼出来る人に話を聞いてもらい、自分をさらけ出しましょう」

「素直な感情を人に伝えられるようになりましょう」だった。

 

 絶句した。

 この時点で、もう、どん詰まりになった。

 

 信頼してる人なんてたったの一人もいないんですが私は一体どうしたらいいのでしょうか。
 こんな頭のおかしい話をして、否定せずに受け止めてくれる人なんていないと思うのですが一体誰に話せと言うのでしょうか。
 言っても分かってもらえなくて散々傷ついて諦めたのに、まだ傷つかないといけないのでしょうか。

 

 もう疲れたよ、パトラッシュ。

 

 そしたら、毎日涙が止まらなくなってしまった。

 27年と10ヶ月、正確に言うと自己分裂を自覚したのが小学校低学年くらいだったから、20年近くもの間感情を抑圧してバラバラになった自分を放っておいた結果、アラサー女は毎日涙が止まりません。
 不眠治療で心療内科に行ったときのオイシャサマの対応が雑すぎて、病院に行く勇気も出ないよ。

 

 だから、複数の自分がいるような感覚が少しでもある人は、気を付けてほしい。そういう人はきっと、ずっとずっと小さい頃から無意識の内に、自分の感情を抑圧してしまった人だと思うから。

 自分の本当の感情や思考がどれなのかわからなくならないうちに。
 私みたいにならないように。
 手遅れにならないように。